名前 |
鬼ヶ塚 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
ここ鬼ケ塚は桃太郎に退治された鬼の遺体を埋め祀ったと云われています。
現在ここ讃岐で云われている桃太郎伝説や桃太郎神社は明治時代に創られた話し、また桃太郎神社(熊野権現)も同じで明治に桃太郎とついたと地元の古老数人から聞取りしました。
こちらの鬼ケ塚の灯籠にも明治の年号が確認出来ます。
少しだけ古老から聞いた桃太郎(稚武彦命)の伝説を書き込みます。
第七代孝霊天皇の御代香河郡(現在高松市)の北西部周辺に出没する鬼が居て略奪、強奪の悪行を行っていると一宮の倭迹迹日百襲姫命(卑弥呼とも云われている。
)に訴えがあり姫は都の父に相談します。
父孝霊天皇は倭迹迹日百襲姫命の弟(稚武彦命)を讃岐に遣わします。
稚武彦命と犬(岡山県犬島の者達、船の扱いに長けていた。
)猿(綾南猿王の者達、火や鉄に長ける)雉(雉ガ谷の者達、弓矢に長ける)が香西村辺で水を汲みに来ていた鬼を捕らえ問い詰めると沖の島から来たと云うので鬼達に案内さし島の鬼達と戦いました。
鬼達が降参したので稚武彦命は許し悪さはしないとの約束をする。
犬達、猿達は帰り雉達と稚武彦命が一宮に報告に帰る途中、鬼達が約束を破り鬼無村まで攻寄せて来ているとの事を聞き稚武彦命は雉谷の者達に弓の弦を弾かせました。
鬼達はその弓弦の音で恐れおののき逃げ帰ります。
その弦を鳴らし場所が現在の弦打村と云います。
稚武彦命と雉達は猿達、犬達を呼び返し女木島に攻めたが誰も居りません。
北の方を見ると横の島から煙が上がるを見て皆を連れ向うと鬼たちの本拠地を見つけ攻撃して殲滅しました。
その鬼達の首を持帰り埋め祀ったと云われています。
その塚が鬼ケ塚であると云われています。
もう一つ古老から聞いたのは「あの鬼ケ塚は大昔の古墳や、この近くに衣懸や佐料、雉ガ谷に同じような大昔の古墳があった」と大変興味深い話しを古老達が話してくれ楽しい時間を過ごしました。