お盆の頃にお寺でクラシックコンサートなどを開催して...
こんな所に訪問なんてするかよ。
正蓮寺 真宗興正派●t平成30年11月に坂出市加茂町の正蓮寺境内の本堂や山門など5件は文化庁より『国の登録有形文化財(建造物)』に新たに答申された。
(以下は答申に述べられた特徴の概要を示す一部を写したものです)坂出市の五色台西麓にある真宗(しんしゅう)寺院。
本堂は南正面の入母屋造り本瓦葺きで、向拝(*1)は木鼻(*2)に龍や獏を彫刻し、虹梁(こうりよう)(*3)には波に鯉の躍動的な文様をあしらうなど装飾豊かに仕上げる。
讃岐地方の江戸後期真宗本堂の好例を示す。
本堂の東側には入母屋造り妻入りの大玄関と両下造(りょうさげづくり)(*4)の小玄関が接続し、本堂とともに境内中枢部の重厚な景観を形成している。
境内正面の山門西脇に入母屋造り本瓦葺きの鐘楼、東脇に六角形平面本瓦葺きの経蔵が参道を挟んで並び建ち、境内の表構えを整える。
山門は切妻造り本瓦葺きの薬医門(*5)で、親柱に大断面の五平材(ごひらざい)(*6)を用い、控柱も木丸い角材に絵模様の虹梁を渡すなど量感あるつくりとする。
境内の江戸中期の建築形式を伝える貴重な建物である。
(*1) 参拝者が本殿に向かって礼拝するところ(*2) 肘木(ひじき)・虹梁(こうりょう)などの端が柱の外に突き出した部分(*3) 寺社建築における梁の一種で、虹のように弓なりに曲がっているもの(*4) 切妻造の妻がないような形式(*5) 2本の本柱の背後だけに控え柱を立て、切妻屋根をかけた門。
(*6) 長方形の断面の木材【登録有形文化財の建設年代(現在のもの)と有形文化財種別】・本堂:文政8年(1825)-建築物・大玄関及び小玄関:弘化2年(1845年)-建築物・鐘楼:明治43年-工作物・経蔵:明治12年-建築物・山門:江戸中期-工作物●t讃岐の地と真宗寺院(平成30年12月に同寺で開催された登録有形文化財(建造物)報告会の配布資料より)讃岐と阿波に真宗寺院を建立したと伝えられるのは、京都市下京区にある浄土真宗寺院興正寺(真宗興正派の本山。
開祖は親鸞上人)の第七世了源上人(1295〜1336)の教えに共感した和泉国大鳥城主生駒右京太夫の子、秀善(兄)と浄泉(弟)。
兄秀善は阿波に安楽寺を弟浄泉は讃岐に常光寺を創建した。
その後、讃岐の各地に15世紀後半から16世紀末に真宗寺院が続々と建立された。
正蓮寺もこの常光寺の末寺に当たる。
●t正蓮寺由来(平成30年12月に同寺で開催された登録有形文化財(建造物)報告会の配布資料より)正蓮寺は崇徳上皇が讃岐の地に配流された時、松山の津に迎え、私邸の「雲井の館」でお世話された在庁野太夫・綾高遠の末孫・常清(寺に残る古文書「正蓮寺記」に崇徳上皇当国に左遷の御時度々鳳輦(ほうれん)(*7)をとどめ、丸の内に一もと菊の御紋(*8)まで賜わりし在庁野太夫高遠が裔とある)が上京した際に実如上人(室町時代中期から戦国時代にかけての浄土真宗の僧)に真宗を故郷でも広めるように命じられて開基したと伝えられている(「正蓮寺記」の記録から1505〜1534にかけて堂宇の建立・整備が行われたと推測されている)。
正蓮寺は創建当時から今日まで同じ場所にあり、その理由として、この地を含む綾川の流れを汲む綾北地区が綾高遠一族と後裔の居住地であったこと、更に正蓮寺の山号「綾坤山(りょうこんざん)」が綾一族の居住地に在って、崇徳上皇の御陵を北東に仰ぐ寺と解されているとのことです。
(坤は方角で北東を指し、鬼門(北東)を崇徳上皇の御陵に護って頂くという願いが込められていると解かれている)(*7) 天皇の乗り物(*8) 「一本菊」(ひともとぎく)の御紋。
本堂の正面の唐戸に彫刻の紋章があります。
更に鬼瓦の先端の一部にも見られます。
お盆の頃にお寺でクラシックコンサートなどを開催しています。
菩提寺として尊敬しています。
名前 |
正蓮寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0877-48-1309 |
住所 |
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評価 |
3.2 |
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この寺は、浄士真宗興正派の寺院で、江戸時代前期の『御領分中宮由来・同寺々由来』には、永正年間(1504~21)に僧常清が諸檀那の助力を得て建立し、親鸞上人絵像や本願寺からの免許を所持したと記します。