細川頼之出世のきっかけの地です。
細川将軍戦跡碑(白峯合戦古戦場跡) / / / .
穴場の桜花見ところです。
「三十六古戦場」とも「細川将軍戦跡」とも呼ばれています。
南北朝時代に、細川清氏と36人の家来が自刃したという由来によるようです。
坂出市林田町のさぬき浜街道と産業道路の交差点から産業道路を少し南に行くと、左手の田んぼの中に「細川将軍戦跡碑」という史跡が残っています。
ここが白峯合戦の古戦場です。
この碑は江戸時代、中山城山の筆になるものです。
この辺りの所は、「三十六さん」と呼ばれ、清氏とその従士三六人が、頼之の軍と奮戦苦闘、遂に力つきて、主従共に壮烈な戦死を遂げ、屍を埋めたと伝えられています。
敗れた清氏は三木郡白山の麓に葬られたといわれています。
白山の麓の畜産試験場の横に小さな祠があって五輪塔が建っているそうですが、この塔は、清氏のものと伝えられており、毎年八月には供養祭が行なわれているとのことです。
このことは「太平記」にも描かれています。
なお白峯合戦では頼之の家臣で乃木備前次郎という人物が討ち死にしています。
日露戦争のときの旅順攻略で有名な乃木希典はその子孫です。
そのためここには「乃木大将遺愛地碑」もあります。
第11師団長だった乃木希典が、讃岐在任中に史跡の保存に尽力したようです。
農地・工場の真横、看板もないし、駐車場が…無い!切り返しスペースも無い!軽でも、手前からバックで進入を!
名前 |
細川将軍戦跡碑(白峯合戦古戦場跡) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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細川頼之出世のきっかけの地です。