八十蘇場の清水と呼ばれるようになったとのこと。
景行天皇の時代に悪魚を退治に向かった讃留霊皇子と80人の勇者が悪魚の毒に苦しみましたが、この泉の水を飲んだところ、たちまち蘇ったので、八十蘇場の清水と呼ばれるようになったとのこと。
また、崇徳上皇はこの地で崩御しましたが、この泉に遺体を浸していたところ全く腐敗しなかったとの伝説があります。
オェンロ巡礼者のための良い小屋があります(原文)there is good hut for ohenro pilgrims
弥蘇場または八十蘇場と書き、「やそば」。
1164年8月26日,崇徳上皇は鼓岡(天皇寺)で崩御されると、遺体の処置について都からの指示を待つ間、遺体が腐敗することを避けるため,古来より霊水と伝えられている「八十場の霊泉」に浸したという。
日本武尊(日本武尊の子讃留霊皇子ともいう)と80人の勇者が、南海の悪魚を退治したが悪魚の毒に苦しんだ時、童子が勇者達にこの泉の水を飲ませると、たちまち蘇生したため、「八十蘇場(弥蘇場)の清水」と呼ばれるようになったという。
ろころてんを食べながらユックリ見ました。
名前 |
弥蘇場の清水 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.city.sakaide.lg.jp/uploaded/attachment/28031.pdf |
評価 |
4.5 |
冷たくてとても気持ちのいい水が大量に流れ続けています。
夏の疲れが吹っ飛びました。