名前 |
四郎作古戦場跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.4 |
武田勝頼公天目山記所縁りのスポットガイド小宮山内膳は主君の危急を知り決戦の前夜一行に追い付き「友晴が譜代の臣でありながら武田家の最後の戦いに臨めなかったなら小宮山家末代までの恥辱であり武士道にも背くゆえ蟄居の許しを請い最後の戦いに御盾となり高思の万分の一にも報いたい」と言上しました。
勝頼は「あっぱれな武士の鑑よな余の不徳の致す処であった」と直ちにこれを許したのでした。
小宮山内膳は勇躍戦いの最前線であるこの地に陣を敷き寄せ来る敵と奮戦数刻の末従容として主君に殉じたのでした。