2014/09/23 9:55弘田川を渡る⇒この橋...
山号寺号院号 八幡山三角寺仏母院宗派 真言宗醍醐派御本尊 金剛界大日如来坐像真言 オン アビラウンケン バザラ ダトバン創建 伝 平安時代開基 伝 玉依御前霊場 四国八十八ヶ所番外霊場新四国曼荼羅霊場第十七番弘法大師の母、玉依御前の屋敷跡に建つ寺院です。
平安時代初期、玉依御前がこの地の産土神、熊手八幡宮に祈願し弘法大師を身籠ったと伝わっています。
その後、唐から帰国した弘法大師がこの地に三角寺と云う寺院を建立。
そして熊手八幡宮の別当寺院と成ったそうです。
天正時代頃(1558〜1570年)の戦乱により荒廃しますが、その後修験者の大善坊が再興し寺号を大善坊に改称します。
江戸時代(1638年)に嵯峨御所より仏母院の院号を下賜され仏母院に改称したそうです。
また、この寺院には隣接した胞衣塚には弘法大師の臍の緒が埋められています。
小さな寺院ですが大変興味深くお詣りさせて頂きました。
弘法大師の母の屋敷跡と言われる寺である。
しかし、母親の阿刀氏の本貫地は河内に在ったと云われ、一説には江戸初期善通寺が衰退した際に海岸寺一体を空海の由緒地と名乗ったとも云われている。
海岸寺は真言宗醍醐派の寺で有り、後背地の御盥山にはこの地域では一番古い古墳を有している。
また、周辺の盛土山古墳には日本最大の勾玉が発掘されておりこの地域にはかなりの財力を有した豪族がいたことは間違いない。
空海は唐へは私費留学生で行っておりその財政的な支援は母方に寄るものと推察される。
当時は、結婚の形態は通い婚なので父方で出生することはあり得ない。
善通寺とは出生地論争で江戸期裁判にまでなっており財力のある善通寺には負けているが、真偽のほどはわからないままである。
霊験のある霊場です✨
2014/09/23 9:55弘田川を渡る⇒この橋で老人が釣りをしていた。
さて何が釣れるのか? 10:01佛母院の駐車場に到着した。
弘法大師の母、玉依御前(たまよりごぜん)の屋敷跡と言われる。
名前 |
仏母院 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0877-32-2079 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
墓じまいをして仏母院の納骨堂に義父、義母、主人、息子を納めています。
何時でも会いに行けます。
新しい所で静かです❤️自分でお経を上げて話をして帰ります。