弘田川と天霧山の間に、ある円墳です。
程良く手入れされている様です良いと思います☺
手入れされた古墳です。
弘田川と天霧山の間に、ある円墳です。
大正4年(1914)に、ここから四神四獣鏡(しじんしじゅうきょう)、長さ7㎝の硬玉製勾玉(こうぎょくせいまがたま)、瑠璃勾玉(るりまがたま)、銅鈴、碧玉管玉(へきぎょくくだま)、玻璃小玉(はりこだま)、琺瑯丸玉(ほうろうまるたま)、瑪瑙丸玉、小玉、金環、刀などが出土しています。
全国的にも類例を見ない逸品だといわれており、現在、東京博物館で保管されています。
古代、白方には有力な豪族が住んでいたと思われます。
古代は弘田川河口部は、今よりも海が入り込み大きく内湾して入り江をなし、入り江奥部に「多度津港」があったと考えられています。
桜川や金倉川の河口地域には古墳の見られません。
弘田川下流域の港津機能を背景とした白方地域の優位性は、その後も続きます。
ここに眠る首長は、①首舶載三角縁四神四獣鏡が出土した西山古墳(消滅)や、②全長30mの前方後円墳である黒藤山4号墳、③48mの御産盟山古墳などの前期古墳の首長墓系列とは、いったん断絶している可能性が高いようですが、瀬戸内海の海上交通のひとつの拠点を押さえた人物であったことは確かです。
同時に、同時期の古墳の規模等から見て、善通寺勢力の影響下にあったようです。
名前 |
盛土山古墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
日本一の大きさ6.6cmの翡翠の勾玉が出土した古墳です。
もとは二重の周壕があったそうです。
お餅を重ねたかわいい形状です。
この白方の地は本来は白潟と書きます。
日差しに白く輝くひろい干潟が弘田川河口周辺にあったようです。
発掘調査記録がWEB上にあるので興味のある方は検索してみてください。