遺構がよく残っています。
登山道や頂上付近は、整備されています。
肝心な城跡遺構は殆ど整備されてない歩いて登る最中、大きな物音が麓のレオマワールドから聞こえてくる周りに高い建物もないから頂上から讃岐富士や瀬戸内海が一望出来る気軽に山登り出来る高さなので、ビギナー向けでも楽しめるスポットだと思います。
この西長尾城跡は、香川県仲多度郡満濃町長尾に位置します。
ここへは、県道195号丸亀岡田線の綾歌森林公園駐車場に車を駐車してから上がって行くのが良い!ここは標高150Mほどあり、城山(375m)へは30分位で行くことが出来る。
この道は猫山(467m)、大高見峰(504m)方面への登山、ウォーキングコ−スにもなっている!西長尾城は、南北朝時代から戦国時代末期までに、長尾大隅守が居城した詰城であつた。
土佐の長宗我部元親に攻められ、和解するまで、240年間統治した山城である。
その後は長宗我部元親の重臣である国吉甚左衛門が入城し、東側に曲輪を広げ、国吉城と呼ばれた。
しかし、間もなく、長宗我部元親は、豊臣秀吉軍に降りてこの城も廃城となったのである!
先祖の城です。
国吉が入ってきたと同時に一族下野し、本家筋以外は苗字を変えました。
その変えた中の高尾家が先祖です。
城山頂上(375m)の本丸から東南に700mの間に多くの消平地(曲輪跡)、空堀、土塁、井戸、が残っている。
これが西長尾城跡(国吉城跡)で応安元年(1363年)北朝方の海崎元高が入城し長尾大隅守と称してから8代220年の拠城で有った。
長尾氏は鵜足郡、那珂郡の南部を支配し細川管領家の家臣として応仁の乱や畿内の戦いにも出陣した。
天正七年(1579年)四月長尾高親は長曽我部元親と戦い敗れ開城した。
元親は西長尾城を補強し国吉甚左衛門を将とする土佐軍を入れ長尾氏の将兵を先陣として東讃岐に侵入し、これを征服したが天正十年(1585年)六月、元親はこの城に伊予、讃岐の大軍を集め豊臣軍を迎え撃とうとしたが阿波での戦いに敗れ秀吉に降伏し西長尾城は廃城と成った。
まんのう町方面からは登れず。
綾歌運動公園側に数か所登り口があります。
頂上からの景色はなかなかいいです。
疲れたけど、見晴らし最高です( 〃▽〃)
池内先生の言う通りレオマワールドの敷地も長尾家の城跡のパワースポットこの西長尾城跡と連携をとれり外敵を防いでいた大天守があったレオマワールドも元城跡だと言う事を利用しないと戦国時代のアトラクションとか戦国時代の甲冑着る体験とかあったら楽しいな甲冑着て記念写真とかね。
展望最高~🙆
景色の良いところ。
遺構がよく残っています。
城郭遺跡としてばかりでなく地域の展望台としても最適な所です。
名前 |
西長尾城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
登城口にある案内板が秀逸です。
イラストタッチだと不正確なものも多いですが、分かり易かったです。
登城口付近に竪堀、堀切あり、その後は連郭式郭が続きます。
本丸北側を7