このレビューを書くときに地図で見るまでこの古墳が仁...
百舌鳥古市古墳群の中の一つ。
仁徳天皇陵と一体化しているようです。
柵の外から覗けるだけです。
通勤路にある古墳、いくつかあるので足を止めていこうと思う、案内があるとつい読んでしまう。
仁徳天皇陵古墳の後円部外側の第2堤上から三重濠に張り出す径56mの円墳。
古墳名は秀吉が狩りをした時の陵上の仮居宅跡を、茶屋山と呼んだという「堺鑑」の記事に由来します。
仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)の後円部外側の第2堤上から、三重濠に張り出すようにある2基の古墳のなかの西側にある、径56m、高さ9.3mの円墳です。
茶山の呼称は、「堺鑑」に豊臣秀吉が仁徳天皇陵古墳で狩りをした時に、陵の上で仮の居宅を構えたあとを、茶屋山と呼んだという記事があることに由来します。
仁徳天皇陵の陪塚のひとつで、後円部の先端からコブの様に突き出た形で存在している。
と言っても木々が繁って地形がはっきり見える訳ではなく、予備知識が無ければそこに古墳があると言う事に気付かないかも知れない。
フェンスに解説が付いている。
ちょうど歩道橋があり、その上から見下ろす事が出来る。
因みに、そこから仁徳天皇陵の後円部の頂上らしいものを垣間見る事が出来る。
外豪の水面に木々が映る光景は絵になるが、目の前の道路は交通量が多くてかなり騒々しい為、景色に浸る雰囲気とは言い難い。
仁徳陵の周堤と一体化した陪塚。
戦国時代三好氏の軍事拠点として使われていたと言われているので、出丸的なものとして改変されたのかもしれませんね。
もちろん本丸は前方後円墳ですが。
高校生からの思い出です。
高校の陸上部。
このレビューを書くときに地図で見るまでこの古墳が仁徳天皇陵(大仙古墳)と別物と知りませんでした。
外側の歩道から眺める事ができます。
歩道橋に登るのも良いかもしれません。
仁徳天皇陵の北面に、位置する古墳で、どんな形を、してるのかわかりません。
空こら見たらよく分かるのでしょうけど…写真も、少なく二枚しか、 写せませんでした。
直径約56mの円墳、築造時期は5世紀前半と推定。
仁徳天皇陵の陪塚。
濠にはさまれた堤の上に墳丘が造られることはたいへん珍しく、大安寺山古墳と茶山古墳以外では確認されていないとのこと。
ところで何で、わざわざこんなところに古墳をつくったんだろう。
前方後円墳とそれを取り囲む外堤の形は、完成されたひとつの形式美とも思えます。
それを崩してまで、なぜこの場所に古墳を造ったのか。
被葬者にとってここに埋められたものはそれほど近くに置きたかったのか、外堤なんて単に侵入者を防ぐためのものだったのか、それとも別の理由があったのか?ただの設計ミスなんて話じゃありませんよね?
名前 |
茶山古墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.4 |
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暑くてへとへとな時に出会った古墳 曲がり角に位置する 珍しい古墳の様だ。