駅の真裏にこんな立派な古墳が!
唯ニの宮内庁管轄下だそうです。
宇土墓と呼ばれる垂仁天皇第2皇子・五十瓊敷入彦命(いにしきりひこのみこと)の陵墓とされてます。
五十瓊敷入彦命は近くの船守神社の御祭神です。
古墳の周りのお堀には水鳥が沢山生息してます。
淡輪駅の真横で昔から気になってましたが、初めて近くまで来れました。
5世紀中、後期に築造されたと見られる墳丘長約180メートルの前方後円墳。
宮内庁にて管理されていて、こちらから南にある西陵古墳より良い状態を保たれています。
近つ飛鳥博物館にて、この古墳(宇土墓)で発見された独特な淡輪技法(リングの形の台にのせて製作)と呼ばれる円筒埴輪が展示されていました。
古墳周りは途中外れますが、おおよそ一周出来ます。
付近にある6つの陪冢も徒歩圏内です。
旧国道26号淡輪南交差点を海側に下った場所にありますが、車の駐車は難しいです。
紀小弓の真墳ではないか?とも伝えられ埋葬者に関しては謎のようです。
淡輪技法と呼ばれる円筒埴輪は和歌山の紀の川周辺で作られていたという説があります。
大型古墳が二つもあれば付近に埴輪窯跡があってもおかしくはないと思いますがないみたいです。
淡輪技法と呼ばれる埴輪は淡輪で作られた物でないのかも知れませんね…。
一部を除いてぐるっと一周でき、造出も観察できます。
水鳥がたくさんいる、形のきれいな古墳です。
電車の窓から気になっていた宇度墓古墳に。
淡輪駅から繁る木々が見え、鳥のにぎやかな鳴き声が聞こえます。
まわりは柵で囲まれていて入ることはできませんが、古墳に沿って歩くことができました。
畦道沿いは燕が何羽も飛んでいたり、亀が甲羅干ししていたり、のどかな感じがしました。
また、睡蓮や黄菖蒲の花が咲いていて綺麗でした。
ゆっくり歩いて1周だいたい15分くらいなので散歩に良いかもしれません。
古墳には後円部を取り囲むように陪塚6基があるそうですが、わかりませんでした。
*2019年5月3日、淡輪駅で降りてみさき公園駅まで、歩いて岬町の淡輪古墳巡りをしてみました。
案内の看板がたっているのはまだましで、太陽光発電のソーラーパネルに変わっていたり、工事車両や資材置き場になっていたり、燦々たるありさまでした。
全般的に手入れがほとんどされておらず、古墳が町に大切にされていないのがよくわかりました。
宇度墓古墳…○淡輪遺跡…畑鴻ノ巣古墳…民家西小山陵古墳…太陽光発電西陵古墳…○真鍋山古墳…工事車両・資材置き場。
普通電車に揺られて突然現れる前方後円墳に驚きます。
歴史好きにはたまりません‼️付近にみさき公園がありこどもも楽しめます。
自然豊かな前方後円墳。
ガードレールが低く非常に見渡しが良かったが、高めの柵が出来て残念。
それでも眺めは良い。
蓮が咲き乱れているのは見事だった。
天皇ではなく皇子の墓という珍しい古墳。
外から眺めるだけ。
可もなく不可もなく。
むしろ周辺の瓦葺きの町並みの散策がノスタルジックで楽しい。
実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「宇度墓(うどのはか)」として第11代垂仁天皇皇子の五十瓊敷入彦命の墓に治定されている。
名称は「宇度墓古墳(うどはかこふん)」とも。
墳形は前方後円形で、前方部を西南西方に向ける。
墳丘は3段築成。
墳丘長は現存で173メートルを測るが、後世に削られており、築造時点では約180メートルであったと推測される。
外部施設として、墳丘南側・北側の両くびれ部には方形の造出が認められる。
墳丘表面には葺石が葺かれ、加えて須恵質の円筒埴輪列、家・盾・キヌガサ・鳥などの埴輪が認められている。
埴輪の一部は淡輪独特の技法を有し、それらは「淡輪系埴輪」と称される。
内部施設(埋葬施設)は明らかでない。
墳丘周囲には周濠が2重に巡らされている(現在は1重目のみ残存)。
この周濠付近の後円部外周部分には陪塚7基が分布し、うち6基が現存し主墳同様に宮内庁の管理下にある。
この淡輪ニサンザイ古墳の築造年代は、出土埴輪から5世紀中-後半頃の西暦440年-460年頃と推定されている。
5世紀中頃に限って築造された淡輪古墳群の大型古墳3基(西陵古墳・西小山古墳・淡輪ニサンザイ古墳)のうちでは、西陵古墳に次ぎ西小山古墳と同時期の築造で、本古墳の築造をもって当地での大型古墳の築造は終焉する。
これら岬町の大型古墳群では円筒埴輪に独特の技法(淡輪技法)が見られるが、同様の技法は和歌山平野の木ノ本古墳群にも見られることから、淡輪古墳群は紀伊勢力(紀氏)との強い関わりの中で成立したと考えられている。
遥拝所は西側にある。
周濠はびっしりと蓮の葉で覆われていた。
駅の真裏にこんな立派な古墳が!規模の大きい古墳でしたわ。
墳丘長173mの前方後円墳、築造時期は5世紀中-後半頃の西暦440年-460年頃と推定。
この古墳の埋葬者、きっと海が好きだったんだろうな。
以下、ウィキペディアより。
「宮内庁により「宇度墓(うどのはか)」として第11代垂仁天皇皇子の五十瓊敷入彦命の墓に治定」「岬町の大型古墳群(西陵古墳・西小山古墳・淡輪ニサンザイ古墳)では円筒埴輪に独特の技法(淡輪技法)が見られるが、同様の技法は和歌山平野の木ノ本古墳群(和歌山市木ノ本)にも見られることから、淡輪古墳群は紀伊勢力(紀氏)との強い関わりの中で成立したと考えられている」
淡輪駅の横にある駅近古墳です。
宇土墓、大将軍紀小弓宿禰の陵墓。長172m、陪塚七つ。森に覆われた瀟洒な佇まい、淡輪駅前、日当り良好、水源豊富、美築1550年位、宮内庁管理の訳あり物件。 古墳girlにお勧めの逸品!「462年、紀小弓宿禰・蘇我韓子宿禰ら四将軍を新羅に派兵。小弓俄に病を得、亡くなる」by書紀。
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駅から眺めてもよし、反対から眺めてもよし。
入れないので面白くはないです。
名前 |
淡輪ニサンザイ古墳(垂仁天皇皇子 五十瓊敷入彦命 宇度墓) |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
072-492-2715 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
4.4 |
駅のすぐ南側にあります。
車で来られる方は駐車場は無いようでした。
蓮だと思うのですが周濠いっぱいにあり花が咲いていました。
周濠の周り半分は道路があり、とても見学しやすいです。