以後湯浅氏の居城となりました。
真横に湯浅城が建立してますが隣の山です麓を注意して観察しないと判りません地元も城跡は中々判らないのでは?石垣か段々畑の石か判らないですがロマンは感じられるかも。
登城口には柵が設置されてあり、南京錠が掛けられ閉まっていましので、登城出来ませんでした。
確認したところ、コロナで閉鎖しているとのこと。
近いうちに週末のみ開ける予定!?天守閣建物は温泉施設です。
湯浅城跡お隣の天守風建造物は城跡に建つ湯浅温泉で、日帰り温泉や宿泊も楽しめるようです。
4階の資料館には湯浅氏に関するものが展示されています。
実際の城跡は向かいにあり、土塁、曲輪等が残っています。
2021年に国の史跡に指定。
藤波館跡とともに「湯浅党城館跡」として指定)【アクセス】城跡入り口には鍵がかかっていて、電話をすると開けてもらえる様です。
行く場合は事前に調べておくと良いです。
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行ったら少し登った所で扉が鍵で締められており、役所に電話したら、今は一般公開は金曜日しかしてないとの、事。
だったら公表しといて欲しいし、登る前に入口付近に表記しといてほしかった。
湯浅城は康治2年(1143年)に湯浅宗重により築城され、以後湯浅氏の居城となりました。
宗重は平治の乱の際、熊野詣から京に戻る平清盛に同伴して上洛し、平家の有力武将の1人となります。
源平合戦では平家側として戦い、平重盛の子、忠房を擁して湯浅城に籠りましたがその後頼朝に降伏、鎌倉幕府の御家人となり地頭に任じられました。
南北朝の動乱の際には南朝側として戦いますが康暦元年(1379年)、幕府側の山名氏の猛攻により湯浅城は陥落、湯浅氏は滅亡します。
その後、紀伊国守護に任じられた畠山氏に反抗した楠木氏の残党が後村上天皇の孫、義有王を奉じて入城。
文安4年(1447年)、畠山氏の三度に渡る攻撃により落城。
湯浅城は廃城となりました。
名前 |
湯浅城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.5 |
公開日以外は立ち入り禁止ですのでご注意ください。