日本書紀、有馬宮古として考えられる。
紀州鉄道市役所前駅から御坊大橋を渡り歩いていきました。
車で行く方が絶対いいです。
古墳周り、トイレも自販機もありません。
純粋に古墳を楽しむ方向けですね。
小学生が芝滑りしていました。
日本書紀、有馬宮古として考えられる。
古墳で、埋葬者特定されようとしてる二桁/4000古墳の希少な方墳だそうです。
岩内(いわうち)古墳群は、日高川河口から約2キロさかのぼった左岸丘陵上に立地しています。
岩内1号墳は、横穴式石室を持ち、墳丘に沿って北・東・西の三辺に周溝をめぐらした一辺の最長が19.3メートルの方墳で、7世紀中頃以降に造営された県内でも数少ない終末期古墳の一つです。
戦後まもなく発見・調査され、木棺に塗られた漆の破片や銀装大刀、六花形の鉄製棺飾金具などが石室内で発見され、昭和54(1979)年度の調査では、版築(粘土を突き固める)という技法で墳丘の盛土が造営されていることや被葬者を安置した床面が7世紀後半頃に作り直されていることなどがわかりました。
昭和57(1982)年度に石室・墳丘を復元し、史跡としての環境整備を行いました。
被葬者は、木棺に棺飾金具や全国的にも数少ない漆塗の装飾がされていること、副葬品(銀装大刀)・造営の技法(版築)などから大変身分の高い人物であったと考えられています。
その候補の一人として、658年蘇我赤兄の謀略あるいは中大兄皇子(のちの天智天皇)の陰謀によって、紀伊の牟婁温湯(今の白浜温泉)に滞在中の中大兄皇子のもとに謀反の罪で連行され、処刑された悲劇の皇子「有間皇子」(640~658年)があげられています。
名前 |
岩内1号墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
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有間皇子の墓の説が有力とのお墓。
草も刈りこまれ、定期的に人の手が入っている気配を感じます。
ちょっと胸熱。