十八代反正天皇の陵墓とされる。
十八代反正天皇の陵墓とされる。
18代 反正天皇の陵墓(元禄)同十年十一月十九日、土屋相模守殿、御留守居呼出左之書付御渡、 覺阿波淡路右兩國之内、古代之、天子葬之場所有之由に候、淡路國三原郡有之旨に候、場所吟味有之候𤔡其所に矢奈等被申付、雑人不入込候様可被申付候(中略… )同十四年四月廿四日、勝浦郡大原村千代ヶ丸觀音山へ、普請奉行猪子理五郎、森脇彌五兵衛罷越、石之櫃堀出し申處に、内に右左品々有之、一、石櫃長九尺八寸、深貮尺九寸、幅三尺餘、切ふさ貮枚、むぎ合に仕、内樋有之、一、しやれかうべ貮つ、長サあぎとまで壹尺四寸、丸サ三尺七寸廻り、兩眼の間三寸、一、上下の齒長さ八分、左奥齒より右之奥齒まで壹尺四寸、兩方の耳幅長さ壹尺五分、一、今一つかうべの儀は不分明一、刀一腰長さ六尺八寸、幅貮寸五分、一、釼二振有之内一振は長五尺五分、幅三寸五分、今一振は長壹尺五寸、幅三寸五分、一、鉾一、長さ貮尺は丶七寸、石突八寸、一、矢根廿五本有之、長壹尺貮寸、幅三寸、一、からうとの内かうや貮つに書付添、右之通 以上「古代天子葬之場所有之由の候… 」
名前 |
蛭子神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
3.9 |
18代 反正天皇の陵墓(元禄)同十年十一月十九日、土屋相模守殿、御留守居呼出左之書付御渡、覺阿波淡路右兩國之内、古代之、天子葬之場所有之由に候、淡路國三原郡有之旨に候、場所吟味有之候𤔡其所に矢奈等被申付、雑人不入込候様可被申付候(中略… )同十四年四月廿四日、勝浦郡大原村千代ヶ丸觀音山へ、普請奉行猪子理五郎、森脇彌五兵衛罷越、石之櫃堀出し申處に、内に右左品々有之、一、石櫃長九尺八寸、深貮尺九寸、幅三尺餘、切ふさ貮枚、むぎ合に仕、内樋有之、一、しやれかうべ貮つ、長サあぎとまで壹尺四寸、丸サ三尺七寸廻り、兩眼の間三寸、一、上下の齒長さ八分、左奥齒より右之奥齒まで壹尺四寸、兩方の耳幅長さ壹尺五分、一、今一つかうべの儀は不分明一、刀一腰長さ六尺八寸、幅貮寸五分、一、釼二振有之内一振は長五尺五分、幅三寸五分、今一振は長壹尺五寸、幅三寸五分、一、鉾一、長さ貮尺は丶七寸、石突八寸、一、矢根廿五本有之、長壹尺貮寸、幅三寸、一、からうとの内かうや貮つに書付添、右之通 以上「古代天子葬之場所有之由の候… 」