戦争の悲惨さと平和について考える場所。
1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、原爆ドームの南東上空約600mの地点で原子爆弾がさくれつした。
広島市大手町の島外科は、その爆心地である。
原子爆弾がさくれつした後、一瞬に3000度~4000度のすごい熱線と爆風や放射能におそわれ20万人を越える人々の生命を失い、半径2㎞に及ぶ市街が瞬間的に廃墟となった。相生橋めがけて投下されたと言われているが実際の爆心地はこの辺り。
もうその当時の面影はない。
1945年8月6日午前8時15分、この上空約600メートルで原子爆弾が炸裂したそうです。
2022/04/23 17:55、76年8ヶ月17日9時間35分後の600m下から「空」を見上げる。
天候は曇りであった。
それでも同じように空を見上げていた人もいたのかもしれない。
全てが燃え上がるその瞬間まで。
歴史的に重要な場所ですが、病院前にひっそりとここが爆心地と伝えるプレートがある、と言うだけの場所では有るので原爆ドームやレストハウス、資料館を訪れた際に少し寄り道をしてこの場所で原爆が炸裂して周囲の建物が破壊されたんだなと位置関係を考える、そう言う場所だとは思います余談ですが「この世界の片隅に」で最後に出て来る浮浪児になってしまう女の子、被爆されて息も絶え絶えのお母様が傷だらけの身体でなんとか歩いて辿り着き息絶える場所が爆心地つまり島病院に何とかして向かっていた、と言う設定になります。
投下直後には呉海軍の大佐たちが目視で確認したそうですが、2002年に放射線影響研究所が爆心地とここから600m上空の爆心点を特定。
今はただ駐車場とか病院とかに囲まれてます。
上を見上げたとき、平和というものの有り難さにただただ感謝するのみです。
原爆ドームに気を取られがちですが、広島の本物の爆心地はこちらです。
長崎とは扱いがだいぶ違いますが、確かに存在しています。
実際の中心なんて分からないと思いますが、原爆ドームを含めたこの当たりと言うことは間違いないないでしょう。
島内科医院の傍らにひっそりと建つ碑です。
相生橋を狙って投下された原爆は、実際にはこの碑の上空で炸裂したそうです。
気にしていないと通り過ぎてしまいそうな小さな碑ですが、一見の価値はあると思います。
原爆被災説明板o.01:爆心地。
広島に原爆が落とされた、まさにその場所と推定されている地点(正確にはその真下)です。
原爆ドームからは少し離れた路地にあります。
現在は医院の敷地の脇にひっそりとモニュメントがあるだけですが、風化させないためにも残していってもらいたいものです。
長崎の爆心地跡は立派な公園になっていますが、広島ではモニュメントが一つあるだけです。
投下の目標とされた相生橋は絶え間なく人が行き交い、投下の象徴である原爆ドーム周辺が大勢で賑わっているのとは対照的に、ここでは足を止める人もあまりいません。
原爆の場合、「あそこに爆弾が落ちるのを見ました」なんて人が生きているわけもなく、空中で爆発するので大きなクレーターが残されていたりもしません。
ではどうやって爆心地を特定したかと言うと、複数の廃墟に残された熱線の跡から爆心地の方角を推測、それらから伸ばした線の交わるところを爆心地と判断したそうです。
その熱線によりどれほどの命が焼き尽くされたかを想像すればぞっとしますが、そういった解説はここにはなく、どうにも理解が深まらないなと思いました。
原爆ドームに次いで訪れたかった場所です。
街中になんの変哲も無く佇んで建っています。
実際に行ってみていろいろ思う事はあったのですが…上手く書き記せません。
この場所で空を見上げて人体実験にされ亡くなった方々のご冥福をお祈りしました。
星5は不謹慎なのかもしれませんが、今でこそここまで発展を遂げた広島ですが、多くの犠牲を出した原子力爆弾の被害を世界で唯一受けた場所であり、一瞬で何千℃という超高熱の衝撃波で亡くなった方々を思うと何とも言えない悲しさが込み上げて参ります。
世界は同じ過ちをしてはいけません。
核開発だの戦争だのと人を殺すことを平気とする世の中は誰だって望むものではないのに、未だに世界が平和にならないことが非常に残念でならないです。
戦争の悲惨さと平和について考える場所。
私達が今、生きていられるのはたくさんの人々の犠牲の上に成り立っていることを再認識させてくれる場所です。
過ちを二度と繰り返さないことを心から願います。
爆心地の病院の敷地に碑があります。
私が訪れた日に外国人観光客の方も爆心地に来られていました。
オフィス街の建物の一角に、碑が建立されています。
近くには、パーキング施設。
喫茶店などがあり、原爆ドーム。
平和記念公園まで、徒歩でいけます。
現在は、区画が整備されていて、綺麗な町並みですが、ここに……と想いが、頭によぎったとき、何とも言えない心情に駆られます。
小学校の平和学習で訪ねた時は思いもしなかった、爆心地が原爆ドームから目と鼻の先にありました。
大人数では決して来れないような、車が通る道沿い、病院のところにあります。
今回は少人数で来たので来れますが、車がよく通るので観光するには注意を。
病院の前で空を見上げました。
地上600mでミサイルは爆発。
いたたまれない気持ちになりました。
人類史上初の「原子爆弾(リトルボーイ)」が投下された場所。
にしては、どこにでもあるような路地の脇にポツリと案内板があるだけです。
それでも説明を読んでから上空を見上げたらゾクッとする寒気を覚えました。
この場所で歴史に残る大惨劇が起きたのが僅か70-80年前ということが信じられませんでした。
絶対に風化させてはいけない歴史であることを改めて認識させてくれる場所でした。
※1945年8月6日 8:15、米軍機B29「エノラ・ゲイ」号により投下された原子爆弾はこの場所の上空600mで約43秒後に炸裂。
一帯は約3000-4000度の熱線と爆風や放射線に晒され、罪のない多くの方々の生命が一瞬にして奪われてしまいました。
投下目標は、原爆ドーム前駅の西側にかかる相生橋だったと言われています。
2019/1/22 水。
川沿いの通りから一本裏の通りにあり意識していないと見落としがちですが、表示もありますから是非行きましょう。
まず、足を運ぶことが大事です。
La bêtise humaine n a pas de limite !Tout les jours nous pouvons le constater à travers la planète Les leçons du passé ne servent à rien !😢
全世界の方に訪れて頂きたい場所です。
原爆当日の院長や看護の方。
そして病院関係者や入院していた方。
それぞれの想いを感じながら、この場所に立つと胸が苦しくなります。
現在でも、院長の想いを貫き病院を続けていらっしゃるご遺族の皆様に感謝します。
観光地ではありません。
記念写真などを撮る為に団体で騒いだりするのは、やめてください。
宜しくお願い致します。
Conceptually this is a must see location. Practically it's a plaque on the wall of a parking garage on a sidewalk that just barely leaves you enough room to read it.
To set expectations, it is simply a plague in a small back street. If you're expecting some huge monolith that you can take selfies in front of then you're going to be disappointed. That being said, it is well and truely worth a visit as along with the dome, the museum and everything else in the peace park it helps paint the picture of the events and locations of the day the bomb was dropped.
名前 |
広島原子爆弾 爆心地説明の碑 |
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ジャンル |
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電話番号 |
082-242-7831 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
4.4 |
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長崎と比較すると爆心地の整備状況に雲泥の差が見受けられますが 全ての戦没者に対して 哀悼の誠を捧げたいと思います来年(2023年5/19~5/21)は 被爆地で初めて「G7サミット広島」が開催されます 各国首脳の方々には被爆関連施設の視察を是非ともお願いしたいですね 岸田首相のお膝元広島 サミットのホスト国としての対応 期待しています。