名前 |
伊予国分尼寺塔跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.7 |
伊予桜井駅から綱式天満神社に 行く途中に 地蔵堂の様な所が有ります…。
旧国道196(県道38)手前左手に…有ります。
真新しい 真言宗 法華寺の御札が貼られており 随時供養されておられる事が 感じられました…。
2018_6_29_8:00国分尼寺は 元来 現在の 桜井小中学学校を中心に 広大な敷地を有していた 寺院との事で有ります。
西暦760 奈良時代 聖武天皇の皇后 光明皇后… に関連性が…。
皇后ゆかりの地の様。
開山は 尼 証爾(しょ うに)。
奈良時代 南海道に沿った この桜井(櫻井)… 伊予国府が 置かれた この地は 伊予国の政治 文化の 中心地で有った…と有ります。
現在の法華寺と 少し離れた JR 桜井駅方面に 寺跡と 石碑が 建っておりました…。
面影を感じる事は 少しむづかしいですが メモリアルとして 想いを寄せてみたいと…。
追伸 少なくとも 奈良時代 760頃は この一帯… 温泉が 自噴していたんですね…。
大湯屋の 存在も 連想される…と有ります。
話はそれますが もし仮に 菅原道真公が 一大温泉保養施設でも 有った 桜井に 興味が有り 山陽道でなく 南海道(壬生川沖 難波…も)を 来られていらっしゃった としたら… 光明皇后ゆかりの この地 御所にも 名前を知られた 名高い保養温泉地帯だったのかもと…。
そこで この地の由来などに 興味が湧き 松山 その後の 履脱天満宮あたりまで 脚を伸ばされた…。
は 考え過ぎでしょうか…。
とにかく 菅原道真公… えひめの地に 3年間も 滞在されておられる…という事。
勅使が その後の履脱天満宮に 勅使を派遣して やっと 九州 太宰府へ 向われておられる…。
お年召されて 更に博識の 菅原道真公… 愛媛で 何を しておられたのでしょうか…?また 愛媛 東予エリアの 神社仏閣を 歩いてみて 思ったのですか もう一つ… どうも 弘法大師空海の 足取りと 似ておられる 気がするのです…。
真言宗寺院と 天満宮が 微妙に 重なり合っている様な…。
過ぎたればご容赦下さいませ。