名前 |
詫間城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.5 |
大河ドラマ🌠風と雲と虹と🌠見るべし藤原純友(ふじわらの・すみとも)の養子の藤原良範(ふじわらの・よしのり)良範の母方は、(桓武平氏の平良文の流れをくむ)純友の死後は、純友の母方にの高橋姓を名乗ったのが詫間家の祖先(一族が詫間姓を名乗った)純友の🌠甥おい🌠だったそうだ藤原純友の弟藤原純乗が実父🌠藤原純乗の経歴🌠👇幼くして、父を失い兄と共に地方貴族として、下向した。
天慶2年(939年)に兄の藤原純友の乱に参加し、主戦力の一つとなる。
太宰府を急襲し、筑後国柳川にいた朝廷側の大宰権帥の橘公頼と対陣。
この時、藤原純乗は蒲池城を築いたと地元の柳川では伝えられているが、蒲池城を築いたのは公頼であり、藤原純乗の軍を迎え撃った公頼の子孫である筑後の筑後橘氏が蒲池城に拠り、(源平藤橘の橘家の女性を妻とした)蒲池の領主になる。
藤原純友の乱後は、行方不明同じ藤原氏の藤原秀郷の五男(藤原千常)の子孫に従った遠い親戚を敵対したからと簡単に命奪うのは、間違っているとこの一族は、考えへ詫間姓を与えて人知れずかくまった。