2017年GW 来訪。
「天空の城」とも呼ばれた武力で攻め落とすことが出来なかった戦国時代最大級の山城だった所です。
(兵糧攻めで落城あり)松江城ができるまで出雲の主城だっただけに一般的な山城とは規模が違います。
山頂の本丸まで見学するにはそれなりの体力が必要で資料館〜本丸をのんびり歩いて1時間ほどです。
途中の「山中御殿」近くまで一般道が通っていて駐車場も有るので此方からが便利です。
登ったけど木々で何も見えなかったといった事はなく天空を楽しめます。
尼子氏の代が有名ですが改修され廃城となった城跡でも当時も凄い堅固な城だったのだろうなとは想像できました。
安来市立歴史資料館の一階が無料のガイダンス施設なので予習してからのチャレンジをオススメします。
歴史資料館に訪問した際にすでに16時頃になっていたので館内の職員の方からお城の山頂に向かって途中まで車で行けることを教えていただき、山中御殿近くの無料の駐車場まで向かうことにしました。
駐車場に向かう道路の入り口は歴史資料館建物の裏側すぐの場所にあります。
道幅は1車線程度しかありませんが、待機場所はあるので大丈夫かと思いますが、交通量が多いタイミングに出くわすと移動に苦労すると思いました。
わたしの時は平日の遅い時間でしたので対向車とすれ違うことはありませんでした。
このようにアクセス路は決して道幅は広くありませんが駐車場内のスペースは10台程度は止めれそうな広さは確保されています。
駐車場からは数分歩けば山中御殿、七曲がりの坂の登り口に到着できました。
時間もなかったので駐車場の利用は大正解でした。
登り口から20分程度かけて七曲がりを登り、三の丸、二の丸を経て、本丸に到着。
お城の石垣は表面は赤みがかっていて、個人的には他のお城の石垣では見たことがない景色で珍しいとおもいました。
本丸跡を更に奥へ行くと勝日高守神社があり、社殿のそばに先を見通せる開運撮影スポットの樹木がたっています。
地元の方の説明では樹木は穴が空くほどのダメージを受けながらもしっかりと成長しているとのことで、神社の名前の「勝」の字と空いた穴から見通せることにかけて縁起が良く、穴を通して撮影できる開運スポットとして紹介しているとのことでした。
この日は10月開催予定のお祭りの準備をされていました。
地元愛の伝わるお城でもありました。
訪れたのは蒸し暑い雨あがりの7月。
直下の駐車場にて余計な装備を外し、水、塩分補給と歩きやすさ、日よけだけに絞って登城開始。
途中で竹杖をお借りし、七曲りを休み休み40分といった所で三の丸跡へ到着。
本丸まではほぼ平坦な徒歩ですね。
キツい箇所は、舗装がしっかりされており思いのほか登りやすかったですが、帰りの20分では、案の定踏み込む足がガクガクしています。
スタンプは二の丸休憩所に。
何があり、何が見えるか、どういった気持ちになるかは是非ご体験下さい。
ひと言で言えばサイコウの体験でした。
安来市に入って流していると、遥か向こうの峰に平坦な地形を確認する事ができます。
それは直感の通りこのお城です。
圧倒的な存在感です。
100選にも名を連ねた不落の名城ですが、その詳細は私なぞが語りきれるような、手におえるようなものではないので割愛で。
月山富田城跡は、標高190mの月山を中心に、飯梨川(旧名:富田川)に向かって馬蹄形に伸びる丘陵上に多数の防御施設を配した広大な山城です。
戦国大名尼子氏歴代の居城として栄え、尼子氏が毛利氏の攻撃を受けて滅亡した後には毛利氏の山陰地方支配の拠点となりました。
さらに吉川広家が城主となって以後は、主要な箇所に石垣を築き、瓦葺きの櫓や土塀を建てるなど、中世城郭から近世城郭へと大きく変貌し、その後に城主となった堀尾氏が松江城を築城して本拠を移すまで、出雲国の中枢として繁栄しました。
昭和9年(1934)にはその歴史的価値が認められて国の史跡に指定され、さらに平成18年、日本100名城、平成30年に日本遺産「出雲國たたら風土記」の構成文化財にも選定されています。
海抜190mの本丸からの眺望は本当に最高です。
中海、日本海、飯梨川、安来港から広瀬への街道の様子が一望出来ます。
尼子氏がここを城にしたのも納得出来ます。
本丸に続く道は本当に整備がしっかりされていてとても歩きやすいです。
歴史資料館から本丸まで休みなから歩いて1時間ほどで本丸に着きます。
途中、太鼓壇、花ノ壇、山中御殿、七曲りなど見どころが沢山あるので1時間はあっと言う間です。
特に山中御殿の場所の広さにはびっくりします。
本丸にある大モミジの木の根を守るために毎年4月29日に皆が砂を下から本丸まで持って上がって根の部分にかける活動をやっているそうです。
皆さんも参加しましょう!
安来にある山城。
ずっと気になっていました。
友達から聞いたが、松江城の城主の方が元々住んでいたお城らしい。
そして、難攻不落のお城としても有名みたいです。
その名の通り、道中は大変険しく、昔の人は戦で攻めるのをさぞ苦戦したのを体感できて、良い経験になりました。
山道は整備されているので、歩きやすかったです。
良い運動にもなりました。
本丸からの眺めは絶景で、河川沿いに広がる石州瓦の街並み、遠くには中海、さらに奥の島根半島、大根島も見えて、感動しちゃいました。
登る価値は大いにありました。
本当良い場所来れて満足です。
また、こっちに来た際は、訪れたいです。
時々、地元の方が訪れる方に好意でガイドをしてくださるらしいので、聞いてみたかったです。
標高183.8mの月山という険しい山の上に、出雲国守護職の居城として建てられたのが富田城です。
戦国時代に尼子家の本拠地として栄えましたが、山陽から攻めてきた毛利家と戦を交え敗退しました。
難攻不落の山城と言われ、今でも観光客が多く訪れる人気のスポットです。
本丸跡(山頂)へは歩いて行けますが、急勾配でつづら折りの観光登山道を登ることになります。
ちょっとキツイですよ。
尼子氏の居城。
登る際に、改めて難攻不落な城だと身に染みて感じました。
舗装はされていますが、本丸までは険しい道のりなので、動きやすい服で行かれることをオススメします👍
やっぱり戦国時代に戦の舞台となった山城は面白い。
エキサイティング。
どこから敵が攻めてくるか、どこから攻めるか、を想像しながら城址を歩く。
至福の時間です。
2021.12.30.木.8:50〜10:50
景色を楽しみ、歴史を想像しながらのちょっとした登山です。
以下引用月山の一帯にあり、山陰・山陽十一州を手中に収めた尼子氏歴代が本城とし山陰・山陽制覇の拠点とした月山富田城は、その規模と難攻不落の城として、戦国時代屈指の要害でした。
また艱難(かんなん)辛苦に耐える悲運の武将・山中鹿介の出た城として有名です。
この城を築いたのは、保元・平治のころ(1156~1159)、平家の大将悪七兵衛平景清であると伝えられていますが、その他に佐々木高綱や同義清などの諸説がありいずれも明らかではありません。
しかし築城は長寛から文治年間(1163~1189)の頃と推定されています。
難攻不落の要塞城と言われており、主家への忠義を貫いた山中鹿介の銅像や供養塔、随所に残る石垣や石畳の古道が往時の面影を伝えています。
三原に続く山城攻略。
下の資料館にてジオラマでシミュレーションをした上で杖を入手。
勇んで出陣したのですが、山中御殿からの登城のきついこと。
階段等、しっかり整備はされているのですが、なんせ急傾斜。
こんなん攻められるわけないじゃん。
いや、水を止めてしまえばいいか。
と疲労でわけわかんなくなってるうちにやっと三の丸下に到着。
そこには井戸跡が。
奴等なかなか持ち堪えよる。
と毒付きながら本丸まで。
山頂からは中海までしっかり見渡せます。
山に囲まれ、前方は川を堀に利用。
攻め方は相変わらず俵料攻め一択です。
ただ、尼子さん身内で結構揉めてて自爆気味な最期。
まあ、色々あったんだろうなあと思いつつ今の心配事はここからどうやって降ればよいのか。
駐車場までが長い道のりでした。
安木市民にとってはちょっとしたハイキングらしく子供もたくさん。
立て看板の自害や滅亡とは程遠い、平和な声が響いていました。
ドローンで空撮もされており、現代では戦わずして負けるしかない山城機構ですが、平景清から続く先人の絶え間ない築城技術、戦略思考に感服です。
また来るか、と言われると天守までは行く事はありません!周りを包囲するに留めます。
戦国大名 尼子氏の本拠地として知られ、国の史跡に指定されています。
難攻不落を誇ったこの城も毛利氏の兵糧攻めに屈し、開城後尼子氏も滅亡しています。
標高183.9m(国土地理院による)の月山上にある本丸までは七曲りの坂道が最大の難所で、流石に一気に登る事は出来ず、休憩しながら登りました。
山上からの眺望は素晴らしく良かったです。
七曲がり、整備されすぎてるような感じがしました。
全体的にはさすが尼子氏の居城だけあります。
二の丸や本丸の景色が最高で木々や鳥居が幻想的な風景を作り出しているので是非とも体験してほしい場所です!!
ずっと気になっていた場所についに行ってきました!時間があまりなかったので上の駐車場まで車で行き、山中御殿から登りました!人もまばらで天気も良くてめっちゃ登山日和だったんですが…三ノ丸に行くまでのジグザグ階段がめちゃめちゃキツイ( ≧Д≦)💦ハァハァ言いながら頑張って登りました!道や階段はキレイに整備されていて登りやすかったです♪キツかった分頂部からの見晴らしは最高✨でした!風もとても気持ち良かったです🍃♪
戦国時代の本格的な山城です。
道の駅や歴史館も麓に併設されてます。
麓から本丸までは30分往復1時間みたほうがいいです。
200mほどしか高さないが登ってもまだ先がある、本丸ある山がそびえたつ、七曲りが大変、スケール大きな城跡です。
二の丸と本丸が同じ高さにあり珍しいです。
最盛期11か国治めた尼子氏の居城であり毛利元就に落城された。
尼子氏家臣の山中鹿介が主家再興するため何度も立ち上がったのは有名な話。
小一時間で運動したい方や山登り初心者にはとても良い場所かもしれません。
200メートル弱の標高の山を整備された階段等で上がっていけるので凄くちょうどいいです。
山中鹿之介や尼子家の歴史を知るのにもとても重要な地ですので、城好き歴史好きの方にもオススメです。
登りかなりしんどくなります。
下りも気をつけておりないといけません。
体力に自信がない方は前後のスケジュールを確認しないとしんどくなるかも。
頂上とても眺めが良いですが風がきつくなるので上着は必要です。
ただそれらの苦労が飛んでしまうほど、とても当時の山城の雰囲気を感じます。
尼子一党の栄華がとても感じらた。
「月山富田城」は鎌倉、室町時代南北朝から応仁の乱、12世紀後半から17世紀前半にかけて歴史の表舞台にはっきりと登場し、江戸時代の元和元年(1615年)の廃城までの四百二十有余年、存在価値を発揮しました。
この期間中尼子氏が支配した期間は全体の約22%、90有余年間でした。
月山富田城は進出と防備との絶えざる戦の修羅場で平穏な期間は長続きしませんでした。
すなわち盛者必衰の理(ことわり)でした。
「月山富田城跡」のどこにでも立ち止まって、辺りの近い遠い山々の連なりや雲の流れ、風がすすきを揺らして吹き抜けていく動きとかすかな音を聞いていますと遥か戦国期の兵(つわもの)たちが聞いて感じていた感覚が甦るようです。
そんな強いパワーを「月山富田城跡」は発しています。
厳かな空気の神社です。
麓の安来資料館で山城の模型を見ながら説明を聞いてからの攻城がおすすめです。
石垣最高!整備もされていて、今までで行った山城の中では最高の歩きやすさです!歩きやすすぎて少し物足りなさはありますが…
石垣と道しか残っていないが、それでもなお雄大さに驚くお城。
まずは麓の資料館で城の模型を見学するのがおすすめ。
精緻なつくりで、山全体が要塞化されている様子がよく分かる。
資料館脇の道からいよいよ城中枢へ。
道は普通車がようやく走れる程度の幅。
対向車があればバックして道幅が広いところに戻る必要があるだろう。
途中の駐車場にクルマをとめて天守跡へ。
石垣はかなり維持されているし、歩道もまずまずよい状態。
健康な人なら山頂にいけると思う。
高い位置からは山々が見えて美しい。
圧巻は天守にいたる七曲り。
山に子どもが落書きしたような道がのびる。
模型や写真では味わえない規模なのでぜひ多くの人に見て欲しい。
城通の醍醐味は山城です。
難攻不落といわれる月山富田城は170年にもおよぶ尼子氏6代の盛衰の舞台です。
太鼓檀に尼子氏に忠誠を尽くした山中鹿之助(幸盛)の像があります。
「願わくば、我に、七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った逸話は有名です。
この山中鹿之助で大河ドラマを誘致を行ってます。
是非、今のうちに月山富田城の醍醐味と一緒に山中鹿之助の生き方を学ぶ機会に島根県安来市に来てみてはいかがでしょうか。
尼子氏の本拠地だけあって難攻不落。
典型的な戦国期の山城としておすすめです。
Gassan-Toda Castle Ruins月山-富田城跡。
数年かけて山頂周辺の整備が進められとても綺麗になりました。
麓からでも石垣や遺構が見上げられるようになりました。
尼子家と毛利家が争った、山陰地方の歴史を語る上では欠かせない重要なお城。
七曲りは舗装され登りやすくなりました。
ハイキングや保育園、小学校の遠足の定番。
石垣以外無いがそれが良さでもある。
眺めは素晴らしい。
七曲りの坂では膝が笑いましたが、頂上からの眺めは絶景。
城下の広瀬から島根半島・日本海にかけての眺望は素晴らしく、陰陽11カ国を支配した尼子の殿様の気分を満喫しました。
流石に中国地方の中世城郭(山城)の代表格です。
石垣もすばらしいですが、やはり戦のための城。
三の丸と二の丸は連結されているのに、二の丸と本丸は離されており一旦石段を降りて再度登らないと本丸にたどり着けません。
防御のための工夫に感心しました。
あと、平成27年度から5カ年計画で城郭全体を整備中のようです。
新しく生まれ変わった富田城を見るのが、今から楽しみです。
歴史に興味があるなら、お近くに寄った際は是非。
整備もちゃんとされてて綺麗です。
夏は激暑なので、注意。
道の駅 広瀬富田城から徒歩ですぐのところにある。
尼子氏が月山に構えた城の跡である。
歩道が整備されており頂上まで短時間で登ることができる。
ちなみに3の丸に登頂記念スタンプが置いてあるので、記念に押して帰るもよし。
きつい登りです。
でも登りきった その眺めは爽快です。
武将になったつもりで城下を俯瞰できますが、尼子氏の最後の気持ちもちょっと味わえます。
2017年GW 来訪。
飯梨川からの車道は工事途中、鉄板の上を走行して駐車場まですぐ。
でも健脚なら嚴倉寺の山門から登るほうが風情あり。
(工事が終われば)つづら折りの登山道は整備されているけどキツイ! 山頂の 勝日高守神社 も整備・改修 して欲しいところ。
良い城跡です。
さすがは100名城、整備の行き届いた素晴らしいお城です。
復元された石垣や建物、植えられた花など、管理される方の気概すら感じられるほどです。
山中御殿までは緩やかな登りですが、そこから頂上までは七曲りと呼ばれる急峻な坂。
とはいえ階段もキチンと整備されているのでとても登りやすいです。
山中御殿から頂上までは15〜20分くらい。
息を切らせて上まで登れば息を飲むような素晴らしい景色と壮大な石垣が待ち構えています。
現在は樹木も刈り取られていますので360°の景観を楽しめます。
駐車場は麓にある道の駅か、もしくは歴史資料館ウラの細い道を登っていくと花の壇直下に駐車場があります。
上に登るだけならば花の壇直下のほうが近いですが、麓から登ったほうが見所は多いので道の駅から登られることをオススメします。
名前 |
月山富田城跡 |
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ジャンル |
|
電話番号 |
0854-32-2767 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
4.4 |
令和5年2月8日初来訪。
尼子氏の本拠地、月山富田城に行ってきました。
山城の規模としては今まで行った山城と比較にならないぐらいの大きさですね。
自分が行った時は雪が残っていました。
山中御殿から七曲のあたりは雪が積もってて時間はかかりましたが行きは50分で本丸まで登れました。
帰りはもっと早く帰れて大土塁から嚴倉寺の裏手の堀尾吉晴公の墓の近くに出てこれてショートカット出来ます。
山陰山陽8カ国の大名の本城としてはかなり立派な城であった事が伺えます。
因みに好きな山城一位がこの月山富田城みたいです。