亡くなったあの人が岩の向こうにいるかも知れないと思...
無料駐車場で4~5台停めれます🅿️🚗
2016.05.14昨日、揖夜神社に行きましたが、すぐ近くに黄泉比良坂よもつひらさか(伊賦夜坂:いふやさか)があります。
ここが黄泉の国への入口となっているそうです。
ここから、揖夜神社まで峠を越えようとして、立ち入り禁止の立て札に断念…イザナギは骸骨となって地獄から追いかけてくるイザナミに桃投げしたところでした!ここに、その桃の木があります。
他の方も言う通りGoogleマップのナビでは入り口の反対側に回されます。
道は狭く駐車場も3,4台しか止められないので平日がおすすめです。
神話と現実の境を実感できる場所。
わたしは観光で行ったが、ひっきりなしに訪れる人々の多さがこの地この場所への信仰の根強さを感じさせた。
イザナギは果たして本当に穴を巨石で塞いだのか。
イザナギが投げた杖が塞の神となったのか。
本当にこの道を歩いたのだろうか。
疑問は尽きないが、ただこの場所がその神話の現場であり、そこを現に歩いているということに不思議な思いがする。
追記だが、人の信仰は一体どこに向かっているのかといえば恐らくそれは神に対してではない。
人が産まれ、そして死ぬというこの単純さ、単純な事実に対して、そして死ぬしかない人そのものが宿した宿さざるを得ないその救いようのない運命に対する思いからなるある種の信仰があるのではないか。
神であること以上に、人間くささみたいなものが神話にはどこかついて回っておりそれがリアリズムに繋がっている。
どう考えても重要なのは神でなく人である。
言葉は「神」だが、神を通してどーみても単なる人間にしか思えないその神を崇めるというよりは悲哀と優しさを感じて見るような視点の存在をどこか感じる。
ああ、「神さま」ですら運命からは逃れられないんだな……そこにある諦念と優しみ慈しみといった感情、その視点が大切なんじゃないだろうか。
弱く脆く儚い人間、それが土台を形づくっている。
その視点が読み物として重要な教育、伝承の要素の根幹を為していたのかも知れない。
いや、わからんけども笑。
ここは現世と黄泉の境とされている場所。
亡くなった方にお手紙を送ることができます。
夕方に行ったのでちょっとホラーな雰囲気でしたが、大切な人に息災であることを伝えてきました。
死者に手紙がおくれます 不思議な感じのする場所です 説明書や手紙やボールペンも置いてあり ちゃんと管理されてる場所です 揖夜神社も一緒に行くのがお勧めです。
あの世への手紙送料0円~やってます。
塞の神の所で道が登りと下りの二手に分かれており登りに行ったのですが…行き止まりでした。
いけそうな気もするのですが、行かない方が賢明でしょう。
あと、注意看板が結構怖いです。
太陽が照り付ける天気でしたが、この場所はひんやりとしていて神話通りの雰囲気でした。
伊賦夜坂を途中まで登りましたが、この先には何があるのか観たいような恐いような(笑)黄泉の国へのポストがありましたので、一筆書かせて頂きました。
亡くなったあの人が岩の向こうにいるかも知れないと思うと不思議となんとなく嬉しい。
なんとなく,「感じる」場所です.わたし霊感とかないけど,なんとなくです.いいもわるいも,敬い,畏れ,近づかないのがよいかと.神の領域です。
駐車場と言うには、狭い駐車場らしき所に、車を停めて拝見しました。
きちんと由来の説明や、持ち帰りできるちょっとした資料ありました。
徒歩で伊賦夜坂歩きましたが、途中、蛇に遭遇して、びっくりしてこわくて、途中で泣く泣く引き返しました。
神話の世界に、興味のある方は、満足いただけるかと思います。
資料をもとに、近くの揖夜神社にも、足を運びたくなりました。
古事記に記された黄泉への入り口。
空気が怖い。
まさに、この世とあの世の出入り口と言うだけあって、神秘的な場所です!光と影とでも言うのでしょうか。
不思議な空間です。
名前 |
黄泉比良坂駐車場 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0852-55-5218 |
住所 |
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評価 |
4.1 |
アスファルトのキレイな駐車場です。
3~4台ほど止められます。
ベンチと屋根付きの休憩所があり、中に引き出しがありパンフレットが入っています。