名前 |
南山城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
小田川の合流工事で、山ごと無くなる可能性あり。
u003cここからは全て憶測になりますu003e城山の下を流れる高梁川は古来より、その川幅から川を挟んで別の勢力が対峙してしまう立地であると用意に考えられる。
よって、この城は高梁川より西の勢力にとっては川を天然の要塞とした守りの要衝として用いられていたことも用意に考えられる。
特に国が乱れていた戦国時代の頃には、今の酒津あたりまで海岸が迫っていたとされ、この城山が海岸の河口に面していたこと、高梁川の水運とすぐ北を東西に走る山陽道を使うことで水陸の物資交通行軍の拠点としても優れた機能を発揮していたことも用意に考えられる。
このことから、歴史的には認知されていないがこの城が古来よりこの地域、特に川西の勢力にとって非常に重要な拠点であったことを推測するのは、真の城マニアであれば用意だろう。
昨今、立派な天守が残るにわか城を好む城マニアが増え、天守を城と誤認し、天守と本丸に昇るための階段が登り辛いなどとふぬけた城好きが増えているが、真の城好き歴史好きであれば、このような城を好むもの。
そもそも城とはu003c土u003eでu003c成u003eると書くことからも、このような城こそが、真の城と呼ばれても過言ではない。
と勝手に思うこの頃である。
城とは簡単な観光地として整備されるものでは無く、地形を生かし残し登るのも行くのも苦労する、その苦労をも城であると再認識する必要があるのではなかろうか?