八口神社 須佐男命・櫛稲田姫命 平成27年12月6...
八口神社(印瀬の壺神) / / / .
八口神社は、通称印瀬の壺神様と呼ばれています。
出雲国風土記には、「矢口社」と記載されています。
また延喜式には「八口社」と記載されています。
スサノヲノミコトは八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の八つの頭を斬られたことにより八口大明神といわれました。
また、ヤマタノオロチが八塩折りの酒に酔い草枕山を枕に伏せっているところをスサノヲノミコトが矢をもって射られたので矢代郷、矢口社ともいいます。
境内の掲示板より宗教法人 八口神社 木次町大字西日登一五二四番地ノ一御祭神 須佐之男命(すさのおのみこと)・櫛名田姫命(くしなだひめのみこと)配祀祭神 国神社(くにつかみのやしろ)(足名槌命(あしなづちのみこと)・手名槌命(てなづちのみこと) 八幡宮(譽田別命(ほんだわけのみこと))例大祭 十月二十七日由緒現存する最古の棟札は宝暦八年修復(一七五八)のものであるが当社の建立年代は不明である。
簸ノ川(斐伊川)の天ヶ渕(湯村地内)に住む八岐(やまた)の大蛇(おろち)は国神である足名槌・手名槌夫婦の娘を年毎に一人ずつ奪った。
今年は遂に八人目の末娘稲田姫が奪われようとしていると泣き悲しんでいた老夫婦から事情を聞かれた須佐之男命は現在地に仮の館を建てさせ見事に大蛇を退治されたという。
―八岐の大蛇退治の物語 ― 今境内に「壺神」として祀られてあるのはその酒壷の一つである。
天正年代(一五七〇)三沢城主爲景の建立した国神神社があったが後世荒廃し合殿として当社に合祀されている。
古来より例祭には「八塩折の酒」を作って献上していたが今は行われていない。
明治四十三年神社制度の改革に三社神社に合祀されていたが、氏子(七戸)の熱心な願望により昭和二十一御分霊を奉斎して飛地末社となし昭和三十一年宗教法人として設立、元の社地に復旧したものである。
壺神由緒祭礼 旧暦 六月三十日8壺 口径 四寸五分・腹径 六寸五分・深さ 五寸由緒神代の昔、須佐之男命は八岐の大蛇を退治される時、足名槌手名槌の夫婦に、「汝等(いましら)は八塩折(やしおおり)の酒を醸(つく)り垣を造り廻(めぐ)らしその垣に八門を作り門毎に八桟敷(やさじき)を結(ゆ)いその桟敷毎に酒船(さかふね)を置きて船毎にその八塩折の酒を盛りて待ちてよ」と仰せられた。
―古事記より―その時の酒壷の一つを祀ったものである。
昔土民がこの壺に触れたところ俄かに天はかきくもり山は鳴動して止まず八本の幣と八品の供物を献じて神に祈ったところようやく静まったという。
村人たちは人の手に触れることを恐れ多くの石で壺をおおい玉垣で囲み注連縄(しめなわ)をめぐらし昔のままの姿で昔のままの場所に安置することにつとめ現在にいたっているものである。
毎年旧六月晦日の夕刻には氏子全員がにぎやかに参拝し昔ながらの八本の幣と供物を献じて壺神祭を続けている。
昔から「印瀬(いんぜ)の壺神(つぼがん)さん」として広く知られている。
八口神社須佐男命・櫛稲田姫命平成27年12月6日 参拝。
素盞嗚尊が八岐大蛇退治の時に仮宮を立てた。
酒壺が祀られている。
八口神社須佐男命・櫛稲田姫命平成27年12月6日 参拝。
離合困難な道を祈りながら進んで行きます。
苦労して参拝した帰りは印瀬の滝で癒してもらいましょう。
秋には藪コギで大変な状態でしたが綺麗に草刈りしていただいて滝がハッキリと見えるようになってました!地元の皆さま、ありがとうございます!
名前 |
八口神社(印瀬の壺神) |
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ジャンル |
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電話番号 |
0854-42-1525 |
住所 |
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関連サイト |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-shimane/jsearch3shimane.php?jinjya=6380 |
評価 |
3.8 |
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