古墳の全長が1号古墳を上回る52mもあることがわか...
古墳って説明されると 古墳にしか見えない。
@古代日本正史 原田常治著 P247出雲独特の前方後方第古墳。
あきらかに女性の古墳で、男性の副葬品は出土しなかった。
須世理姫(素佐之男の末娘、大国主を婿にもらった)の古墳だろう。
《案内板表記》「松本一号墳は、出雲地方でもっとも古い前方後方墳です。
全長は50mを測り、雲南地方で最大の古墳です。
また前方後方墳としては出雲地方で三番目の大きさです。
前方部の先端がやや開くことから我が国でもっとも古い前方後方墳の一つ備前岡山車塚古墳(岡山市)との類似性が指摘されるなど、古代出雲を考える上で重要な古墳です」
名前 |
松本古墳群3号墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.3 |
松本3号墳は、発掘調査は行われていませんが、地形測量の結果、古墳の全長が1号古墳を上回る52mもあることがわかりました。
この古墳も前方後方墳なのですが、古墳の形が特異で、前方部が三味線の撥(ばち)のように開いているのです。
興味深いことに、奈良県にある、最古級の古墳ともいわれる箸墓古墳(全長286m)は同じ撥形の前方後円墳なのです。
後方墳と後円墳の違いや大きさの違いはありますが、古墳の設計や規格が同じで、松本3号墳は、近畿地方の前方後円墳をモデルにして築かれたと考えられています。
箸墓古墳といえば、邪馬台国の女王・卑弥呼の墓という説もあります。
邪馬台国畿内説を採るとすれば、松本3号墳の被葬者は、近畿地方あるいは、近畿地方と深いつながりのあった吉備地方と関係があったのかもしれません。
前方部が撥形になった古墳は、最も早い段階の古墳といわれており、松本3号墳は1号墳よりも古い前期古墳と考えられています。
これらの古墳や、神原神社古墳などの前期古墳は、いずれも斐伊川中流域に築かれています。
この流域に築かれた前期古墳はこればかりではありません。
平成3年に木次町里方で発見された斐伊中山古墳群2号墳も前期古墳であることがわかったのです。
このように、出雲西部でも数少ない前期古墳が、斐伊川の中流域である赤川や三刀屋川の合流域に集まっているのは偶然なのでしょうか。
この謎を解く鍵は、もしかしたら「記紀」や『出雲国風土記』にあるのかもしれません。