高台の見晴らしのいいところにあります。
【比定社】🅿あり(手前左側にスペースあり)出雲神話街道から入っていき、登坂勾配はややキツいが道幅はそこそこある。
杉林と道路の苔の緑がキレイだった。
階段上方の灯籠に小さな🐝が石の隙間から出入りをしており、大人の🐝が見張っているようだったが、刺激を与えないよう遠巻きに避けて通ったほうがよさそう。
安全策は階段を登らず手前の道を右に上がれば問題ないと思われる。
天気が良ければ眺望はいいものがある。
とても素晴らしい眺めでした。
2019 .12月参拝。
栗栖城跡に向かうため立ち寄ったら思いがけずとても良かったです。
眺望も、空気感も。
肝心の栗栖城跡は道が草ぼうぼうで断念。
結局、神社で友人と出雲平野を見ながらとりとめない話をしたりぼんやりしたり。
いい時間でした。
高台の見晴らしのいいところにあります。
神域らしい雰囲気があります。
くなこ神社(くなこじんじゃ)【ひしんしゃ】くないしゃ、くなこしゃ【神々の追悼】イザナミメイ合世,スーユマンミン、ウーウルンハンマーミン、ダニアンミン、シジエナンミン、ユティアンフェアウェル、キープフードアンドライフ合殿,ジャンユミンファンミン【住所】島根県出雲市越町2254稲荷神社あり10月18日平星27(原文)久奈子神社(くなこじんじゃ)【比定社】久奈為社、久奈子社【祭神】伊邪那美命 合祀, 速玉男命、武甕槌命、大年命、事解男命、誉田別命、保食命 合殿, 建御名方命【住所】島根県出雲市古志町2254稲荷神社あり平成27年10月18日 参拝。
伊邪那美命 速玉男命 事解男命を祭神とし、建御名方命(諏訪社)が合殿奉祀された久留須山山上の神社です。
創建年代は不明ですが出雲風土記・延喜式に名前があるため古くから存在しており、もとは別の場所にあった2つの久奈子社(速玉男命と事解男命が各祭神)と当地にあった久奈為社が合祀されて久留須神社(明神・権現とも)と称したそうです。
現在の名称は明治5年に改称されたとのこと。
明治7年に周辺の三武社(武甕槌命)、櫃森社(御食津神)、大歳社(大歳神)、八幡宮(誉田別命)も当神社に合祀されています。
合祀後も三武・櫃森社の祠は元の場所に残され祀られていました。
ナーシングセンターひまわり横の道をひたすら登って行くとたどり着きます。
参道の階段近くと、さらに登って本殿西側に駐車可能なスペースがあるため車で参拝可能です。
階段を登って行くのが正規の参道であり、途中一の鳥居を抜けて階段を登りきったところに安政4年(1857年)奉納の構えの狛犬さんがおられます。
来待石製のようですが年代の割に風化が少なくディティールがしっかり残っていました。
拝殿は赤瓦・本殿は外削千木、三本鰹木の銅葺きで神紋は熊野系の三つ梛のようです。
本拝殿を中心に両側に境内社が並んでおり、西側の祠前には赤鳥居が並んでいました。
もともと栗栖城という山城があったようで神社東側に城跡へ進む道があります。
高台にあるだけあって出雲市内から北山まで見渡せる北東方向の眺望はとても良いところでした。
出雲國風土記、延喜式神名帳に載っている久名爲社は、奈良朝以前久留須山に、久奈子二社は上新宮に鎮座していた。
その後年代は詳らかではないが久奈子二社が 現在地の久奈爲社に移り、この三社が一つになり久留須三社となった。
江戸時代になってからは久留須権現、久留須三社明神とも稱せられていた。
明治五年神社制度改正に当って、社号を久奈子神社と改稱し村社に列せられた。
続いて明治七年には三武社・大年社・八幡宮 ・櫃森社が合祭、諏訪社が合殿奉祀され、爾来今日まで古志地区民の氏神として崇拝されている。
久奈子神社(くなこじんじゃ)【比定社】久奈為社、久奈子社【祭神】伊邪那美命 [合祀] 速玉男命、武甕槌命、大年命、事解男命、誉田別命、保食命 [合殿] 建御名方命【住所】島根県出雲市古志町2254稲荷神社あり平成27年10月18日 参拝。
伊邪那美命 速玉男命 事解男命を祭神とし、建御名方命(諏訪社)が合殿奉祀された久留須山山上の神社です。
創建年代は不明ですが出雲風土記・延喜式に名前があるため古くから存在しており、もとは別の場所にあった2つの久奈子社(速玉男命と事解男命が各祭神)と当地にあった久奈為社が合祀されて久留須神社(明神・権現とも)と称したそうです。
現在の名称は明治5年に改称されたとのこと。
明治7年に周辺の三武社(武甕槌命)、櫃森社(御食津神)、大歳社(大歳神)、八幡宮(誉田別命)も当神社に合祀されています。
合祀後も三武・櫃森社の祠は元の場所に残され祀られていました。
ナーシングセンターひまわり横の道をひたすら登って行くとたどり着きます。
参道の階段近くと、さらに登って本殿西側に駐車可能なスペースがあるため車で参拝可能です。
階段を登って行くのが正規の参道であり、途中一の鳥居を抜けて階段を登りきったところに安政4年(1857年)奉納の構えの狛犬さんがおられます。
来待石製のようですが年代の割に風化が少なくディティールがしっかり残っていました。
拝殿は赤瓦・本殿は外削千木、三本鰹木の銅葺きで神紋は熊野系の三つ梛のようです。
本拝殿を中心に両側に境内社が並んでおり、西側の祠前には赤鳥居が並んでいました。
もともと栗栖城という山城があったようで神社東側に城跡へ進む道があります。
高台にあるだけあって出雲市内から北山まで見渡せる北東方向の眺望はとても良いところでした。
名前 |
久奈子神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
関連サイト |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-shimane/jsearch3shimane.php?jinjya=6429 |
評価 |
4.2 |
かつての賑わいの様子を描いた絵が飾られていました。
出雲國風土記「久奈為社」「久奈子社」「同久奈子社」「久奈子社」は、上新宮集会所後ろ、「同久奈子社」は久奈子山(現熊子山)にあったものを合祀されています。
例祭日は10月15日固定。
過去に例祭日を休日に移したところ、死人が出たために元に戻したという逸話があります。