出雲国風土記に「比布知社」とある神社。
昭和6年刊行の「県社比布智神社誌」が、平成24年の遷宮を記念して復刻されています。
貴重な資料です。
出雲図書館にも置いてあるので借りることができます。
ここ数日毎日通っている神社です⛩️いつも通りかかった時にきになっていてやっと心が向き合えて行けた神社です‼️色々な神様が祀られています✨ゆっくりとした時間が流れている神社なので是非参拝してみてください✨
比布智神社ひふちじんじゃ島根県出雲市下古志町1375祭神伊弉册尊伊弉諾尊当初保知石谷の奥の芦谷に鎮座寛永13年現在地に移転出雲風土記に「日渕川」とあるがそこからの社名。
由緒ある神社です。
普通の氏神様です。
出鶴リズン、イズノズン、信長貴族の神稲荷神社あり2007年10月18日(原文)伊弉冉尊 ・伊弉諾尊・ 大日霊貴神稲荷神社あり平成27年10月18日 参拝。
小さなお社です。
氏神様です。
宮司さんは、常駐ではないですが、最近、お稲荷さんも綺麗になりました。
横側の道からなら、車で境内そばまで行かれます。
車イスでも行かれる場所です。
出雲国風土記に「比布知社」とある神社。
古社地は、保知石谷の奥の芦谷。
鎌倉時代に、保知石谷の中央部に移り、江戸時代初期に、現在地に移った。
出雲風土記に「日渕川」とある、その「日渕」が「比布智」であり、「保知石」と変化したものと考えられている。
現在地は、須久茂津加山とよばれる丘で、須久毛塚と呼ばれる古墳であったらしい。
江戸時代は、古志郷宗社として格式の高い神社であったが、明治に入り、村社に列されてしまった。
その後、昇格運動の結果、昭和になって県社に列せられた。
本来の祭神は、伊弉冉尊一柱。
江戸時代頃から、伊弉諾尊との二柱となり、明治四十五年、末社・妙見社の合祀で三柱となった。
伊弉冉尊 ・伊弉諾尊・ 大日霊貴神稲荷神社あり平成27年10月18日 参拝。
小さなお社です。
氏神様です。
宮司さんは、常駐ではないですが、最近、お稲荷さんも綺麗になりました。
横側の道からなら、車で境内そばまで行かれます。
車イスでも行かれる場所です。
県道277号線沿いの丘上(平地にいきなり丘があるのは須久毛塚という古墳であったため)に建てられた神社です。
伊弉冉尊 伊弉諾尊 大日霊貴神を主として複数の境内社を有する比較的大型の神社でした。
もともとは伊弉冉尊が主祭神であったため、この順番で表示されているようです。
出雲風土記にも登場する古い神社で、創建年は不明とのこと。
拝殿正面と春日神社の前に明治時代奉納の狛犬さんがおられますが、長年の風化でお顔が欠けた状態でした。
本殿は大社造り、境内社の形状はほとんど同じでしたが、靖国社と稲荷神社のみ違う形をしていました。
本殿と拝殿を繋ぐ階段部分の屋根が日照や雨の当たり方による錆の差できれいなグラデーションを呈しているのが印象に残りました。
県道277号線沿いの丘上(平地にいきなり丘があるのは須久毛塚という古墳であったため)に建てられた神社です。
伊弉冉尊 伊弉諾尊 大日霊貴神を主として複数の境内社を有する比較的大型の神社でした。
もともとは伊弉冉尊が主祭神であったため、この順番で表示されているようです。
出雲風土記にも登場する古い神社で、創建年は不明とのこと。
拝殿正面と春日神社の前に明治時代奉納の狛犬さんがおられますが、長年の風化でお顔が欠けた状態でした。
本殿は大社造り、境内社の形状はほとんど同じでしたが、靖国社と稲荷神社のみ違う形をしていました。
本殿と拝殿を繋ぐ階段部分の屋根が日照や雨の当たり方による錆の差できれいなグラデーションを呈しているのが印象に残りました。
神職ー不在がち?県道沿いにあるのでわかりやすい。
花の郷公園から近いです。
名前 |
比布智神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
4.3 |
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境内まで上がってから下を見下ろすと、稲の黄色と空の青が綺麗に見えて素敵でした。
今までこの神社に気づかなかったのが惜しい……(令和4年9月26日参拝)