大國主命さまの御子下照姫命さま(高姫命)をお祀りす...
大国主命の御子神社なので参拝。
大國主命さまの御子下照姫命さま(高姫命)をお祀りするお社です。
静かで清らかなお社です。
女神さまに相応しく、綺麗で可愛らしいです。
女神様です!
平成27年10月8日 参拝令和2年1月5日 初詣。
出雲大社境外摂社の一。
みせん広場駐車場の手前から向かい側に入った先、住宅地の一角。
このような小社が、式内社「大穴持御子玉江神社(おおなもちのみこのたまえのかみのやしろ)」なので驚く。
高比売命(たかひめのみこと)を祀る。
御由緒に曰く。
~大國主大神の御子神で、又の御名を下照比売命(したてるひめのみこと)と称されます。
國土経営に力を尽して大神をお助けになられた女神です。
~古事記に曰く。
此の大國主神、胸形の奧津宮に坐す神、多紀理毘賣命を娶り生みたまへる子、アヂ鉏高日子根神。
次に妹なる高比賣命、亦の名は下光比賣命。
此のアジ鉏高日子根神は、今に謂ふ迦毛大御神のこと也。
…天若日子、其の國(葦原中國)に降り到るや、卽ち大國主神の女(むすめ)下照比賣を娶り、亦其の國獲むを慮り、八年に至るも復り奏さず。
…故、高木神、其の矢を取り見たまふに、其の矢羽に血の著く。
是に於て、高木神之に告げ「此の矢は、天若日子に賜ふ所の矢。
」卽ち諸神等に示し、詔し「或は天若日子、命を誤ず、惡神射るを爲すの矢之に至るは、天若日子中らず。
或は邪心有るは、天若日子に此矢まがれ。
」云くや其の矢取り、其の矢穴より下に衝き返さば、天若日子の寢ぬる朝床の高胸坂に中り、以て死す。
…故、天若日子の妻・下照比賣の哭く聲、風と響き天に到る。
天に在す天若日子の父・天津國玉神、及び其の妻子是に聞きて、降り來り哭き悲しび、乃ち其處に喪屋を作り、河雁をキサリ持と爲し、鷺を掃持と爲し、翠鳥を御食人と爲し、雀を碓女と爲し、雉を哭女と爲し、此如く行き定めして、日八日夜八夜を遊ばれし也。
此時、アチシキ高日子根神の到りたまひて、天若日子弔ふ之喪時、天より降り到る天若日子の父、亦其の妻、皆哭き云く「我が子は死なず有けり。
」「我が君は死なず坐けり。
」云ひ、手足に取り懸りて哭き悲しぶ也。
其の過てる所以は、此二柱神之容姿、甚だ能く相似たり、故、是以て過つ也。
是に阿遲志貴高日子根神、大きに怒りて曰く「我は愛し友故、弔ひ來しのみ。
何ぞ吾を穢き死人に比ぶや。
」云ふや、御佩せる所の十掬劒拔き、其喪屋切り伏せ、足蹶以て離ち遣る。
此は美濃國藍見河之河上に在す喪山のこと也。
其の持し切らる所の大刀が名、大量と謂ふ。
亦の名を神ド劒と謂ふ。
故、阿治志貴高日子根神の忿りて飛び去れし時。
其の伊呂妹(いろも)高比賣命、其の御名を顯さむと思し、故、歌ひ曰く、阿米那流夜 淤登多那婆多能 宇那賀世流 多麻能美須麻流 美須麻流邇 阿那陀麻波夜 美多邇 布多和多良須 阿治志貴多迦 比古泥能迦微曾也天なるや 乙棚機の 項がせる 珠のみすまる 御統に あな珠はや 御谷 ふた渡らす アチシキタカヒコネの神ぞや日本書紀にも同様の話を載せる。
そちらでは「顯國玉の女子、下照姬。
亦の名は高姬、亦の名は稚國玉」と記す。
また異伝に曰く。
時、味耜高彥根、神光儀華艶、映于二丘二谷之間、故喪會者歌之曰、或云、味耜高彥根神之妹下照媛、欲令衆人知映丘谷者是味耜高彥根神、故歌之曰、阿妹奈屢夜 乙登多奈婆多廼 汚奈餓勢屢 多磨廼彌素磨屢廼 阿奈陀磨波夜 彌多爾 輔柁和柁邏須 阿泥素企多伽避顧禰あめなるや おとたなばたす おながせる たますみすまるす あなだまはや みたに ふたわたらす あねすきたかひこね出雲国風土記に見当たらず。
多紀理毘賣命は宗像の奥津宮の神と記されており、その娘となると、国土経営より北部九州とのコネクションだったのではないか。
味耜高彦根命・下照姫命は、大己貴命と共に、福岡県福津市八並の的原神社に祀る。
そこは許斐山の麓で、合併前は宗像郡福間町に属した。
「彦山縁起」に拠ると、彦山を天忍穂耳に譲った大己貴命が、許斐山に遷座したという。
ここに説明されていない「玉江」は昔、菱根池という大きな池があり、その入江を玉江といった。
菱根池は、更に昔の神門水海(かむどのみずうみ)の名残で、干拓により消滅した。
当社は入江の南に坐したものを、寛文の頃に遷座したという。
となると残念ながら、やはり当社に上代の記憶は残っていないと見るべきか。
歌を詠み、兄神と共に出雲と宗像を結んだ存在であり、何より夫婦仲がとても良かったようなので、詳しい話が聞けないのは残念である。
大穴持御子玉江神社(おおなもちみこのたまえのかみのやしろ)もしくは乙見社(おとみのやしろ)出雲大社の境外摂社で高比売命(下照比売命)を祭神とする神社です。
本殿のみで付属施設を持たない神社で、出雲大社本殿と同じ桧皮で屋根が葺かれています。
女神を祀っているはずですが屋根の装飾は外削千木・三本鰹木でした。
出雲井神社遷宮の際に一時的に岐神が鎮座されていました。
2017年2月の参拝時にはすでに帰還され、単独となっているようです。
車ですぐ側まで入れるのですが道が狭いので要注意です。
式内社・大穴持御子玉江神社に比定されている古社。
出雲国風土記の「企豆伎社」の「同社」の中の一社。
「玉江」とは、昔、菱根池という大きな池があり、その江の名前が「玉江」であったという。
昔は、池の入り江の南にあったが、寛文の頃に現在地に遷座されたという。
大穴持御子玉江神社(おおなもちみこのたまえのかみのやしろ)もしくは乙見社(おとみのやしろ)出雲大社の境外摂社で高比売命(下照比売命)を祭神とする神社です。
本殿のみで付属施設を持たない神社で、出雲大社本殿と同じ桧皮で屋根が葺かれています。
女神を祀っているはずですが屋根の装飾は外削千木・三本鰹木でした。
出雲井神社遷宮の際に一時的に岐神が鎮座されていました。
2017年2月の参拝時にはすでに帰還され、単独となっているようです。
車ですぐ側まで入れるのですが道が狭いので要注意です。
must go...
平成27年10月8日 参拝。
名前 |
大穴持御子玉江神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0853-53-3100 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.9 |
みせん広場から歩いて行きました。