誉田別命、足仲彦命、息長足姫命を主祭神とする神社で...
誉田別命、足仲彦命、息長足姫命を主祭神とする神社です。
天忍穂耳命、天穂日命、天津彦根命、活津日子根命、熊野久須毘命、奥津島比売命、市杵島比売命、多岐都比売命も合祀されています。
地図上は八幡宮のみの表記で、社号標には郷社八幡宮とありますが、地元では波根八幡宮と呼ばれているようです。
もともとは波根西大津平山上に鎮座していたものが天文13年(1544年)に天災で倒壊、その後天文15年(1546年)に波根東上河内、永禄12年(1569年)宮山東、天正6年(1576年)に現在地へと遷座を繰り返して現在至ったようです。
境内は凸型で面積もかなりあるのですが、たどり着くまでの道がかなり狭く対向車が来るとすれ違いに難渋します。
神社正面に駐車可能なスペースがありました。
道路より一段高い位置が境内になっています。
拝殿正面の鳥居以外にも西側にももう一基鳥居があり、東側のスロープも含めて3ヶ所境内入口があります。
正面の鳥居の両脇に座型の狛犬さんが一対おられました。
文化9年8月奉納、和泉砂岩製浪速型のようです。
経年変化で斑模様に変色していますが、吽形の角などの造形はしっかり残っていました。
本殿は石垣の上に建てられた大型の銅葺き屋根流造で、周囲を赤瓦葺きの垣根が覆っています。
拝殿は本殿より一段下がって建てられており、赤瓦葺きで本殿と同じく大きな建物でした。
本殿よりは低いですが拝殿の東側に一段高くなった場所があり、こちらに境内社が建てられています。
境内社は外削ぎ千木と三本鰹木を備えた銅葺き切妻屋根で境内社としては大型でした。
2013年頃の写真を見ると隣にもう一基境内社があったようですが現在は撤去されているようです。
道がわかりにくいですが地元で大切にされていることがうかがえる神社でした。
誉田別命、足仲彦命、息長足姫命を主祭神とする神社です。
天忍穂耳命、天穂日命、天津彦根命、活津日子根命、熊野久須毘命、奥津島比売命、市杵島比売命、多岐都比売命も合祀されています。
地図上は八幡宮のみの表記で、社号標には郷社八幡宮とありますが、地元では波根八幡宮と呼ばれているようです。
もともとは波根西大津平山上に鎮座していたものが天文13年(1544年)に天災で倒壊、その後天文15年(1546年)に波根東上河内、永禄12年(1569年)宮山東、天正6年(1576年)に現在地へと遷座を繰り返して現在至ったようです。
境内は凸型で面積もかなりあるのですが、たどり着くまでの道がかなり狭く対向車が来るとすれ違いに難渋します。
神社正面に駐車可能なスペースがありました。
道路より一段高い位置が境内になっています。
拝殿正面の鳥居以外にも西側にももう一基鳥居があり、東側のスロープも含めて3ヶ所境内入口があります。
正面の鳥居の両脇に座型の狛犬さんが一対おられました。
文化9年8月奉納、和泉砂岩製浪速型のようです。
経年変化で斑模様に変色していますが、吽形の角などの造形はしっかり残っていました。
本殿は石垣の上に建てられた大型の銅葺き屋根流造で、周囲を赤瓦葺きの垣根が覆っています。
拝殿は本殿より一段下がって建てられており、赤瓦葺きで本殿と同じく大きな建物でした。
本殿よりは低いですが拝殿の東側に一段高くなった場所があり、こちらに境内社が建てられています。
境内社は外削ぎ千木と三本鰹木を備えた銅葺き切妻屋根で境内社としては大型でした。
2013年頃の写真を見ると隣にもう一基境内社があったようですが現在は撤去されているようです。
道がわかりにくいですが地元で大切にされていることがうかがえる神社でした。
名前 |
波根八幡宮 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 9:00~17:00 |
関連サイト | |
評価 |
3.4 |
二間×二間の流造。
銅板葺。
四周に縁を廻す。
大斗上に舟肘木を置く以外装飾がない。
また正面庇も大斗と舟肘木だけである。
飾金具も正面の六葉釘隠し以外にはなく極めて簡素な作り。
建立時期不明。