苔むしていい感じの社です。
苔むしていい感じの社です。
階段幅が狭く、苔が生えているので注意。
賽銭箱の横に記録帳箱があるので、コメント残しちゃいましょう。
あと縦走地図とかも入ってます。
持ち出し禁止ですけどね。
同志神社(つむじじんじゃ)比定社,都牟自社犠牲,スピードは自己防衛と命を脅かす、マスターの人生、神のゆうヤン人生マッチング,水の8束住宅,南町岩見町島根町1備考,内社・都牟自神社に比定(原文)都武自神社(つむじじんじゃ)【比定社】都牟自社【祭神】速都武自和気命、事代主命、神倭磐余彦命 配祀, 八束水臣豆奴命【住所】島根県出雲市国富町1【備考】式内社・都牟自神社に比定。
文徳実録、仁寿元年(851)によれば「速票風別命」を擢んでて従五位を授くとあり、社伝によれば文暦(1234~35)の頃から旅伏権現、又は旅伏神社、旅伏大明神とも旅中安全の守護神として世人の尊敬厚かった。
松平藩江戸勤番には、家中に必ず安全符札を受けて行った。
七代治郷(不味)は額面に社号を揮号して寄進、その「旅伏社」の額面は現存している。
その称号は亨保年代まで使われた様である。
最も古い棟札は「旅伏権現」寛永8年1631年。
天文元年(1736)棟札は都武自神社、宝暦9年(1759)は旅伏神社、明治維新まで用いた。
明治4年神社取調に復旧都武自神社、明治6年社伺高橋千川が講社活動し、明治13年教会講社創設、神徳宣揚し、隆昌した。
「都武自神社縁起」を見ると推古天皇20年(612)、此の山の嶺に勧請し、都武自と称した。
そのわけは、神武天皇がわが国を「秋津虫国」とされ、そのつむしをとって社号としたとある。
又、「旅伏」と云うのは、神武天皇東征に旅にふす臥して敵を討たれたからであるといふ。
多夫志峯烽記(天保3、1832大江春平)によれば都武自別命は志那津比古、志那津比売神の荒御魂で速疾風となって「天地の間を往来し、大御稜威を輝かし給うたと記し、多夫志は冦伏で火の威をおさえる意だとしている。
延喜式内、出雲風土記所蔵社神田9畝18歩神領御色地あり、明治4年3月郷社、明治40年2月16日神饌幣帛供進指定、国主藩主信仰厚く、大祭に地頭代参、新酒2樽供進、祭費反引米があった。
「式内社調査報告第二十」
都武自神社(つむじじんじゃ)【比定社】都牟自社【祭神】速都武自和気命、事代主命、神倭磐余彦命 [配祀] 八束水臣豆奴命【住所】島根県出雲市国富町1【備考】式内社・都牟自神社に比定。
つむじじんじゃ、つむしのかみのやしろ 推古天皇20年(612)山嶺に勧請、式内社 【祭神】速都武自和気命 事代主命 神倭磐余彦命 (配祀)八束水臣豆奴命 (国引き神話)
こちらに参拝するためには1時間以上掛けて旅伏山のほぼ頂上まで登山する必要があります。
登山道はとても整備されていて安全に上る事が出来ます。
ですが、安全=楽 ではありません。
登山未経験の方にとっては果てしなく続く蹴上の高い階段は大きな試練となるでしょう。
両手でトレッキングポール等を使いながら上がる事をおすすめします。
それと水分携帯は必須です。
苦労の末に目にする緑に覆われた神社の素晴らしさは言うに及ばず、頂上や中腹から見渡せる出雲平野の絶景はいつまでも心に残る事でしょう。
名前 |
都武自神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0853-62-4957 |
住所 |
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関連サイト |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-shimane/jsearch3shimane.php?jinjya=6412 |
評価 |
3.8 |
登山道の途中でよくこんなところに神社を作られたなぁと思いました。
一応トイレもあります。