名前 |
藤澤藤新太夫の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
塩江町、内場ダム西側の道を南に行きますと道路脇にこちらの藤澤新太夫光高の墓があります。
墓石には元暦元年(1184年)七月十三日と記されています。
元々は約400m北側の山頂に有りましたが平成三年七月に現在地に移転致しました。
讃州綾家系図によりますと讃州藤原家の祖、章隆の孫にあたる有高は大野郷に住み新太夫と号し大野氏の祖と成り、その子光高が藤新太夫と号し藤澤氏の祖と成ったとされています。
藤新太夫光高は源平合戦の折、源氏に味方した事が「吾妻鏡」に記載されています。
(一方「全讃岐史」によると越後から来た藤澤入道の子、藤澤新太夫道信が藤新太夫と称し屋島の戦いで戦死したとしています。
「吾妻鏡」に記載された藤新太夫光高はその子であるとしています。
)色々諸説はありますが源平合戦で藤澤氏は源氏方として戦い、その子孫が内場城を居城にして付近に勢力を持っていたと考えられます。
上記の文書は当地に設置されています説明板を参考に書いています。