鳥取市南西部に鎮座し、旧社格は郷社です。
倭文神社(鳥取市倭文) / / / .
駐車場、トイレあります。
おみくじもひけますよ。
鳥取市倭文と書いてある文字が(とっとりし しとり)と読めませんでした。
地名は特にそうですが、地名の由来となるとまた別問題です。
知ることでその地が一層好きになったり、想像力が掻き立てられたりと地名の由来を知ることはとても大切です。
倭文(しとり)の地名の由来はずいぶんと歴史が遡ります。
日本に仏教が朝鮮半島を経由して伝来した6世紀中頃前後に多種多様な職業集団者もやって来ました。
鳥を捕獲する集団、祭祀を司る集団、そして織物を製作する集団と、いずれも渡来人として後に帰化をして日本に職業技術をもたらせてくれました。
倭文は綿や絹織物の機織り技術を持つ人々が居住しました。
「倭文神社」はこの頃の時代から創建とされ祖先の神が祀らていると伝えられています。
また大国主命と稲場(因幡)の白兎の伝説から結び付いて、大国主命とこの土地に住んでいた八上姫との関わりの神社として若い未婚女性の聖地となっています。
延喜式内社・倭文神社は、鳥取市南西部に鎮座し、旧社格は郷社です。
倭文は、(しづり)とも読み、絹織物のことを指します。
機織りを業とする倭文部の民がこの地に居住し、祖神「倭文神・建葉槌命(たけはづちのみこと)」を奉斎したと伝えられています。
また、江戸時代には、御祭神である大己貴命(おおなむぢのみこと=大国主命の別名)が七つの名を持っていたため「七躰大明神」と呼ばれていました。
神話「稲羽の素兎」で、白兎を助けた大国主命がこの地から八上姫に恋文(ラブレター)を書いたと伝えられています。
(当時は歌を詠んだものと思われます) 大国主命の恋文は、「文」の文字や、「絹織物の巻物」から連想されたのかもしれません。
建葉槌命、大己貴命、經津主神、武甕槌神の四柱をご奉斎しています。
名前 |
倭文神社(鳥取市倭文) |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.8 |
こんにちは。
今日は鳥取加露にカニを食べに来ました。
カニのフルコースゆでがに、お刺身、焼きがに鍋に。
両も適量でした。
美味しかったです。
また来年も食べに行きます。