中古に社移りをしたとの由緒です。
甘露神社は852年(仁寿2年)5月に創祀と伝わり、現在地より西へ約1キロほど先にある通称神谷山に中古、戦乱により、海賊が侵攻、村民が離散して神事執行ができなくなったため、現在地へ遷座しました。
大山祇命と啼澤女命が祀られ、大山祇命は、山の神ですが、別名の和多志大神の「わた」は海の古語で、海の神を表しますので山と海の神様のようです。
啼澤女命はいざなきがいざなみの死を悲しんで流した涙から生まれた泉の湧き水の精霊神とされています。
甘露とは、中国の伝説で、天子が仁政を行った治世に、天が降らせたという甘いつゆのことを指し、そのつゆは苦悩を除き、長寿を保ち、死者をも復活させるという天人の飲み物とされているそうです。
852年(仁寿2年)、春日大明神より因幡国はじめ九つの国に甘露が降るというお告げがあり、使者が当地を訪ねたところ、氏神山(神谷山)の峯に大きな岩があり、その左右にある笹に甘露が溜まっていたのを発見し、それを持ち帰って帝(第55代文徳天皇)に献上したところ、平穏になったことから、現社号が定まったとされています。
神社の入り口を見つけ出すのに苦労しました。
旧東小学校 東コミニュティセンター前に石標があり線路を渡って向こうに小道がありそこが入り口です。
踏切ではないので列車に注意してください。
子供の頃からお参りしている地元の神社です。
中古に社移りをしたとの由緒です。
しかし、切通しの岩場を抜けての、参道は、岩場に湧水が染み出て、祭神の泣澤女神の生まれでた場所に変化しています。
カジカも泣く、正しく甘露となります。
中古に社移りをしたとの由緒です。
しかし、切通しの岩場を抜けての、参道は、岩場に湧水が染み出て、祭神の泣澤女神の生まれでた場所に変化しています。
カジカも泣く、正しく甘露となります。
東コミュニケーションセンター向かいに、神社の石碑を発見。
線路を超え道なりへ進み階段を上り本殿へ。
なかなか行かないであろう神社ではあるが、それでも参拝後に見える景色(東浜海水浴場)は格別な気持ちにさせてくれる。
名前 |
甘露神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0857-72-0683 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.8 |
20200620 「甘露神社」鳥居を入りますと一気に体感温度が下がりました。
二つ目の鳥居左側からサラサラと清水が岩場から滴り落ちる音に気づいて近寄って手で受け止めて飲みました。
なんと甘露な清水でしょう。
悠久に枯れることなくこんなまろやかで透き通り冷たい清水があることに心奪われます。
先人たちがこの清水を愛し大事にしている気持ちがよく分かります。
持参のペットボトルから飲み残した飲料水を空にして、岩場を流れる清水で満たしてゴクリと飲みました。
他のどんな市販の飲料水よりも格別な甘露な味、さすがに当神社の由来を一層、強く味わいました。
左へ螺旋状にカーブする参道の石段両脇に迫る大岩石の様子は尋常な様子でありません。
太古はこの辺りまで海水が打ち寄せ、削り取った痕跡と断層が露出しています。
そんなおどろおどろしい所を通り過ぎて社殿に到着です。
式内社「甘露神社」は社叢に覆われた端正な美しさを保ちます。
山の中腹に鎮座、海に近いから潮騒が聞こえてきます。
癒されました。