古く久宝寺々内の今口門があり東口とともに八尾に通ず...
長宗我部盛親 物見の松 / / .
松じたいは当時のものではないですよ。
当時の松が今もあるということではありません。
小さな松がありました。
物見の松の数代子孫だ!そうです。
真田丸を思い出しました。
大阪夏の陣之史跡。
母校久宝寺小学校の前にこんな史跡があったとは知りませんでした。
凄い松ですね。
【長曽我部盛親物見の松】この地は今口といわれ、古く久宝寺々内の今口門があり東口とともに八尾に通ずる道筋でした。
大阪夏の陣に大阪城から天王寺平野を経て進出して来た長曽我部盛親の軍は、この地にあった大きな松の木の上から、東方八尾方面の敵情をてい察したと伝えられ、昭和の初め坂本春湖ここに碑が建てられました。
1615年5月6日早暁より昼過ぎ、大阪八尾。
ちょうどこの東側、若江方面では木村重成隊が藤堂高虎隊、井伊直政隊と激戦を交わしている最中だった。
同時刻、八尾方面にも藤堂隊が進出、長曾我部隊と激突、激戦となった。
長曾我部隊は藤堂隊に対し敢闘、戦いはむしろ長曾我部隊に有利に働いていた。
この物見の松は、敵陣の偵察や動静、戦いの行方に使われたものだが、残念ながら今はなく、小さな松が植えられているだけだ。
閑静な住宅街の小さな一角にひっそりと佇む物見の松。
この松の下で目を瞑り、その日の必死の情景を思えば、彼らたちの怒号や喚声が聞こえてこないだろうか?
長宗我部盛親物見の松。
名前 |
長宗我部盛親 物見の松 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.4 |
長宗我部盛親 物見の松✏️