氷と氷のぶつかり合う音でした。
緑豊かな美しい場所です。
【Instagram】 @az.junichi日本の絶景を紹介しています。
宜しければ旅のご参考に。
中学修学旅行以来の40年ぶりに訪問。
その当時は活気があり賑やかだったと記憶。
今現在廃業ホテル等々崩壊or寸前状態が散見。
また昔の様になると良いね。
休屋の駐車場に車を止めて湖畔沿いに木道を少し歩いたところに立っています。
高村光太郎作の像で昔からの十和田湖畔の観光スポットです。
休屋では乙女餅なる焼き餅を買って食べ歩きしました。
十和田湖来たらここまで散歩する。
外国人が多くてなかなか写真は撮れない。
詩人で彫刻家の高村光太郎の作品。
1953年の建立。
最愛の妻がモデルといわれる裸婦の像。
旅行で青森県の十和田湖に行った時に見れました!!観光客のみなさんも、こちらで記念写真撮ってました(^o^)/
とても素敵な場所だった。
冬に行くと深い雪の中を通っていく必要があるので、スノーブーツの着用はマスト。
夕陽を反射する十和田湖がとても素敵だった。
十和田湖の象徴高村光太郎作智恵子抄で有名なあの方は彫刻家の顔も持っています十和田湖へ来たら必ず寄っておきたいスポットです。
乙女の像というのでもっと華奢なイメージをいだいてたが、ふくよかでした。
十和田湖畔の静かな風景が素敵でした。
、
十和田神社参拝後に樹々に囲まれた遊歩道を抜けてこの場所に来ました。
曇天時だったので、この像の直前で道が開け明るくなり目の前に広がる十和田湖と乙女の像を見学しました。
この像を見て感じたのは「乙女」とはなんだ?と思いました。
芸術的センスがなく、この像より湖の美しさに感動しました。
十和田湖畔に建つ向かい合う二人の裸形の乙女像は詩人で彫刻家の高村光太郎の傑作と言われ高さ2.1mのブロンズ像で十和田湖のシンボルとなっていています。
モデルは智恵子婦人と言われており、台座は智恵子婦人の故郷の御影石を使用しています。
十和田湖休屋を訪れる人々は高村光太郎の乙女の像は必ずといってよいほど訪れるであろう。
十和田神社詣での帰りに湖岸に出る道を辿れば、湖を背景にこの像はある。
像の正面は湖岸からなのかもしれないが、私は湖を背景にした、十和田神社からの道を辿って湖を背景にしたほうが、詩情があるように思う。
モデルは誰か?という議論があったように思うが、やはりあの智恵子に想定するのが自然であろうと思うが、顔は智恵子だが、体のモデルはモデルクラブの女性が務めたということであるらしい。
がっしりとした体つきはあまり乙女らしくないという見方もあろうが、東北地方の乙女はこのくらいしっかりした体でないと務まらないから、これで良いのだという論もある。
昭和28年の落成であるからもう68年もの時が経過しているわけだが、古びないのはさすがである。
2020年2月 冬物語に訪れ、ライトアップされた「乙女の像」へ足を運びました。
参道の両サイドにライトが配置されており、道に迷う心配もなし。
十和田湖といったら高村光太郎の乙女の像!!でも早朝、湖畔まで歩くのがちょっと怖かったー( ̄▽ ̄;)鬱蒼とした森みたいなとこを抜けてくからドキドキしたけど目の前が開けると広々とした湖と像……途中で引き返さなくて本当によかった!!これから行かれる方!駐車場から少し歩くけど絶対来てよかったと思えるので頑張って歩いてみてくださいねー(*^^*)
学生時代修学旅行から数十年が経ち訪れました。
思い出の像とは印象が大分違っていましたね〜。
像を見て色々思う事が沢山ありました。
46年ぶりに訪れました。
「乙女の像」は歳は取りませんが浦島太郎の様に私はすっかり年を取りおじいさんに成りました。
念願の十和田湖に行きました。
お目当ては乙女の像。
朝からの大雨もあり、乙女の像には人がいなかったので、存分に鑑賞することができました。
十和田というと乙女の像か十和田神社、この2つが思い浮かぶものではないでしょうか、目の前が湖、しかも風があると少し波もあり「ここは海か?」ちょっと錯覚する位に広大な風景が広がりとても気持ちい場所です。
ただし、乙女の像と湖両方を入れて写真を撮ろうとすると逆光になるのでご注意をあと私的な意見ですが”乙女”となっておりますが随分とふくよかな女性の像だよな、と思います。
旅館が多くある休屋から十和田湖畔を散策すると乙女の像が見られます。
夏と秋に訪れましたが、季節の違いを実感できていいですね。
すぐ近くにある十和田神社もあわせて行ってみると良いと思います。
訪れた時期的に、岸辺に薄氷がはり、緩やかな波で、聞き慣れない音...何かと耳をかたむけると、 氷と氷のぶつかり合う音でした。
湖の水も透明度あり良い癒し旅に。
初めての十和田湖。
幾度となく写真で目にした「乙女の像」が今まさに目の前で見られる感動。
十和田湖畔休屋の御前ヶ浜に建つ向かいあう二人の裸像の乙女のブロンズ像です。
神秘的な湖の象徴的な存在ですね。
十和田湖が国立公園に指定された15周年を記念して昭和28年に建てられています。
彫刻家であり詩人である高村光太郎の最後の作品と言われています。
十和田冬物語に行きました。
イルミネーションがとても綺麗でした。
プロジェクションマッピングのようなものもあり、とても見応えがあります。
一周1km 約30分程度で回れると思います。
入場料が前売り1,200円、当日券1,600円と少し高いのが難点。
しかも今年から毎晩の花火大会が廃止されたため、料金に割高感があります。
花火大会があると期待していったため、出鼻を挫かれました。
とても綺麗でしたが、寒いですので、防寒対策をしっかりしましょう。
特に十和田湖の湖側はかなり冷たい風が吹いています。
乙女の像に行きました。
作者は「智恵子抄」で知られる高村光太郎です。
完成後、「あれは智恵子夫人の顔」といわれるようになったが、それを確かめた横山に対し「智恵子だという人があってもいいし、そうでないという人があってもいい。
見る人が決めればいい」と光太郎は答えています。
「湖水に写った自分の像を見ているうちに、同じものが向かい合い、見合うなかで深まっていくものがあることを感じた。
それで同じものをわざと向かい合わせた」「二体の背の線を伸ばした三角形が″無限″を表す」「彫刻は空間を見る。
二体の間にできるスキ間に面白味がある」という事でした。
特別名勝池 十和田八幡平国立公園 十和田湖にある乙女の像‼️朝早く行きましたが、森林の中をほどよく歩けば到着‼️パワースポットですね✨ここまで、来たら十和田神社と西湖を眺めて帰るのをお勧めします‼️十和田湖は典型的な二重式カルデラ湖で、海抜401m、周囲は46.2km、最も深い所で326.8mと日本第8位の湖です。
最大の魅力は、湖上遊覧。
四季折々の彩で堪能できます✨
8月の十和田湖がここまで暑いと思いませんでした。
森に囲まれているのでもう少し涼しく過ごせると言う安易な考えがプチ熱中症🥵もうろうとしながらも念願の乙女の像を見学して参りました^_^日傘、手ぬぐい、日焼け止めクリームなど必ず持参して置いた方がよろしいかと。
今の時期は観光客が少ないだろうと思い、行ってみました。
やっぱり人は少なくて、神社から道を歩いて向かうと見えてきました。
良い天気で像がとても綺麗に見えました。
十和田湖畔休屋の御前ヶ浜に建つ「おとめ像」。
詩人にして彫刻家であった高村光太郎の傑作として知られ、十和田湖の文字どおりのシンボルとなっています。
光太郎は「立つなら幾千年でも黙って立ってろ」と詩にも詠んでいますが、昭和28(1953)年秋の完成からすでに60年が過ぎました。
改めて建立のいきさつを辿ってみることにします。
十和田湖を世に出した功労者は、明治の文人・大町桂月、「十和田知事」の異名をとった武田千代三郎知事、地元の法奥沢村長で県議でもあった小笠原耕一の三人であると言われています。
この3人の顕彰をねらいとした記念事業が、昭和初期から県の手で練られ、昭和21(1946)年には「自然石を使った記念碑建立」の方向で動いていました。
昭和22年春、初の民選知事として就任した津島文治は「世界的な景勝地に、ありきたりの石碑では似つかわしくない」と従来の計画を白紙に返し、新構想のための建設準備委員会を発足させました(昭和25年)。
県職員四人による委員会の中心になったのが横山武夫(当時県教委教育次長でのち副知事、歌人)。
委員会ではさまざまな意見が出ましたが、横山はかねてから強い印象を抱いていた関東大震災復興記念像「悲しみの群像」(被服廠跡)のような芸術作品を据えることを提案、これにまとまっていました。
昔からの営業形態が廃れ、かたずけられない状態。
自然は美しく。
四季ごとに見所があります。
高村光太郎作とされるで十和田湖のシンボル。
今一つ田沢湖にあるたつこ像と混同して区別がついていないのは内緒だ。
でもたつこ像は高村光太郎の弟子が作ったとされるので全く無関係という訳でもない。
高村光太郎や銅像に興味があるとかそういう人でもない限り、十和田湖に行ったのでとりあえず見てきたレベルで、それ以上でもそれ以下でもないというのが正直な感想で、ほんと感動薄くて申し訳ありませんw。
尚、乙女の像の周辺は人だかりになっているので、他の人が写らないように写真を撮るのは至難の業だ。
しょうがないので見上げるように撮ってきた。
東北旅行2日目のお昼ごはんで寄りました。
比内地鶏の親子丼を頂きました〜美味しかったです😋高村光太郎の最後の作品と言われる乙女の像まで徒歩5分程で行けました。
十和田湖の乙女の像と田沢湖に在るたつ子像は両方とも高村光太郎の作品だったんですね。
しかも乙女の像は彼の最後の作品だそうで、そのモデルが晩年に病に伏した最愛の妻なのだと聞くと、また受け取る印象も変わります。
その力強く精巧な造りに見いってしまいました。
高村光太郎が晩年に掲げたテーマ「自分が自分を見るという人間の理性」そのテーマが反映されている渾身の力作に、私も自分自身の何かが少しだけ見えた様な気がします✨
十和田湖を象徴するシンボルです。
小さい頃は「乙女の像って名前なのに、乙女に見えないよね」なんて冷ややかなことを言っていたのですが、歳を経てその素晴らしさに気がつくことができました。
高村光太郎による彫刻です。
詩人であり彫刻家。
昭和22年に民選知事となった津島文治から「世界的な景勝地なのに、ありきたりな石碑では似つかわしくない。
」関東大震災復興記念碑「悲しみの群像」のような芸術作品にしたいとまとまったそうです。
現地を訪れた高村光太郎は十和田湖の自然美に深く感度され、制作イメージをもったとのことです。
顔のモデルは智恵子夫人だとされていますが、高村光太郎は「見た人が決めれば良い」としています。
体の方はモデルがいて、藤井照子、当時19歳です。
野辺地町出身の彫刻家、小坂圭二が光太郎の意を受けて探し当てた人で、みちのくの自然美に対抗できる、力に満ち満ちた女性美の持ち主。
彼女は選ばれたことに誇りと使命を感じたということです。
十和田湖を紹介するページには、光太郎の制作の手が止まると「先生、始めましょう」とうながしては奮い立たせました、との記載があり、この像の制作にかける想いが伝わってきます。
こんなに歩いたっけ?って言うほど奥深い所にあります。
雨の夕方だったから観光客も居なく心細かった。
十和田湖と言えば、もうコレ。
9月の平日、誰も居なかった。
いたのは蛇が一匹と社務所の人。
さざ波と木葉のざわめき、染み入る午後。
引っ切り無しの観光客の記念撮影で、いつも乙女の像の前は賑わってます。
記念撮影も順番待ちです。
像の人気に気をとられ、肝心の綺麗な十和田湖をゆっくり眺めるのを忘れそうです。
十和田湖のシンボル、7月ころに、さわやかな風が吹いている日などは木陰にいるととても心地く、高村光太郎について想う場所に最適、以外と厳冬の時期は見ごたえ充分です。
駐車場から少し歩いた所にある。
たまたまかもしれないが、記念撮影は順番待ちするほど混み合っていた。
歴史のことはよく分からないが、良い思い出になりました。
名前 |
「乙女の像」高村光太郎 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0176-75-2425 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
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評価 |
3.9 |
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駐車場から10分ほどは歩きます。
が、十和田湖畔の景色も美しく、のんびり散策、おすすめです。
高村光太郎、彫刻家としても有名なのですね。