島津家初代忠久公の出自を示す重要な史跡です。
懐嶋山の碑(えな塚) / / .
源頼朝の子を身籠った丹後局が、本妻北条政子の怒りを買ったため、比企能員により懐嶋の大庭景義(景能)邸にその身を匿わせ、後に桜屋敷にて子供を出産し、その時の胎盤(胞衣:えな)をここに埋めたと云われています。
その子供が後の島津三郎忠久で、薩摩島津氏の祖になったという伝説ですが、丹後局が隠れて子を出産したという伝説はその他にもあり、近い所では横浜市戸塚区上矢部の丹後山神明社で、こちらでは畠山重忠が母子の後ろ楯になったと云われており、現在も丹後局の供養塔が残されています。
また厚木市の小野に匿われていたという説もあり、こちらの後見人は愛甲季隆であるされています。
その他大阪の住吉大社で出産したという伝説もあるそうなので、何が史実かと言うよりも、どういった背景が丹後局とその子供を生かそうとしているのかという事の方が大事かと思われます。
名前 |
懐嶋山の碑(えな塚) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.5 |
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島津家初代忠久公の出自を示す重要な史跡です。