江戸時代中期の宝暦年間(1751~1763)に奈良...
驚きの入館無料受付の方も親切でした。
子供の頃の祖母の家の様でとても遠く懐かしい気持ちになりました‼️ありがとうございます。
男潟の北東にある、18世紀のアッパー・クラス農民の住宅です。
秋田県立博物館の分館となっており、無料で見学できます。
重厚感を感じる良い建物でした。
無料で見学出来ました。
静かな田舎に、立派なお屋敷があります。
まるで、タイムスリップしたかのような。
その当時の雰囲気を感じる事が出来ました。
2024.1.21の訪問。
無料で見学できます。
茅葺き屋根を燻すため土間で薪を燃やしていたので煙が家屋内に立ち込めていました。
広々とした土間や部屋に立ち入ることができるので江戸時代中期の豪農の暮らしぶりを感じることができます。
小泉潟に面している、歴史建造物です。
県立博物館、県立小泉潟公園、金足農業高の近くで老若男女を問わず楽しめると思います。
旧奈良家住宅は、江戸時代中期の宝暦年間(1751~1763)に奈良家9代喜兵衛によって建てられました。
国指定の重要文化財です。
増築改築してると思いますが、なかなか贅沢な構造であると思いました。
近くの県立博物館から派遣されてる説明員の方から色々教えて頂きました。
今でいう奈良県から秋田に移住した方の子孫の住居との説が有力の様です。
奈良家住宅ですねー。
大黒柱は非常に立派な秋田杉で、このクラス、太さと長さのものは住宅ではみた事が無いです。
さすが秋田ですね。
八郎潟についての当方の気まぐれな質問にきちんと確認して回答頂きました。
ありがとございました。
案内に力を入れる前に2度ほど行ったが、そこまで(国指定)されるような建物じゃない気がする。
米農家の農機具展示場。
自由に見学できたのはよかった。
住まなくなった奈良さん家には悪いけど、ドテラ着て囲炉裏で暖をとりたかったなあ。
☆ 農機具メーカーといえば、ヤン坊マー坊。
天気予報はどの県まで通じるのか試したいものだ。
歌えるでよ。
♪二人合わせてミャンマーだー笑。
動かない薬のCMと修学旅行生の安否を知らせるCMはとんと見なくなった。
ざーんねーん。
ジャスコで万引きもな。
以前の生活様式がわかる、昔の高級住宅です。
贅沢な材料使いで見ていて飽きません。
昭和中期に使われていた農機具などの展示もありました。
受付の方に案内していただき、説明もわかりやすく、楽しい時間を過ごすことができました。
明治天皇の行幸休み場所も移築されて現存してる。
奈良邸は丁度燻蒸中で室内も煙りで見れませんでした。
旧奈良家住宅は秋田県立博物館から車で5分程度です。
県立博物館の分館扱いということで、職員の方が案内してくれました。
建物の両端が前面に突き出す形は「両中門造り」と呼ばれ、秋田県中央部の代表的な大型農家建築物で、国の重要文化財に指定されています。
玄関の屋根などの造りや書院造り風に座敷など、格式の高さがうかがえます。
素晴らしい。
ただ手入れが追いつかないのか。
もったいない。
昔の暮らしを体験できる。
土間は照明が暗くてよく見えないが、きれいに維持されていて興味深い。
t通り掛かりに立つよって見ることに。
タイムスリップした雰囲気があり、とても癒されました。
案内して頂ける県の職員の方もいるので、より秋田の歴史を知ることができました。
名前 |
秋田県立博物館分館 旧奈良家住宅 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
018-873-5009 |
住所 |
|
営業時間 |
[火水木金土日] 9:30~16:30 [月] 定休日 |
評価 |
4.1 |
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2024.10.13.訪問開館時間 9:30〜16:30休館日 月曜日・年末年始入館料 無料(秋田県立博物館HPより)旧奈良家住宅は江戸時代中期の宝暦年間(1751年〜1763年)に建てられた奈良家は秋田県屈指の豪農として栄えた旧家でありここにある建物は3年の年月と銀70貫を費やしたとされる建物の両端 入口部分が全面に突き出す形は両中門造りと言われ正面ひだりが座敷中門(上手中門)右がマヤ中門(下手中門)となっている秋田県中央海岸部の農家に特徴的な建築様式1965年(昭和40年)5月29日に重要文化財に指定される敷地内には母屋の他に明治から大正時代に建てられた蔵や和風住宅などの附属屋が7棟あり2006年(平成18年)に登録有形文化財に登録された敷地内建物全てが文化財となる住宅は県内でも稀有で貴重である敷地内には5棟の蔵と住宅明治天皇小休所などがあり2005年(平成17年)に登録有形文化財に登録されている(余談)建物を建築したのは名工と名高い土崎の間杉五郎八で3年の年月と銀70貫(現在の価値で6000万円相当)を費やしたとされる(秋田市の史跡めぐりより)家伝によれば奈良家は弘治年間(1555年〜58年)に大和国小泉村から現在の潟上市昭和豊川に移住し江戸時代初期に現在地に移った(中略)面積は128.5坪(424㎡)で部屋数は特に多くはないがそれぞれが広い造りでゆったりとした印象を受ける(図説秋田市の歴史より)建造を指図したのは湊(土崎)の五郎八といわれ上層農民と湊商人(回船問屋)との関係の深さが伺われ興味深い9代藩主佐竹義和(よしまさ)は男鹿や虻川への鷹狩りのおりには奈良家を訪れて疲れを癒したといい菅江真澄もまた奈良家にやってきた藩の文人たちが詩歌に興じた様子を書き残している(雑感)取材日2024.10.13.時間がなく開館前に開門してもらい外観と外周だけ撮影させてもらった当時の豪農の暮らしというか質素だがとても良い暮らしをしていたのだなと実感今度は内部を取材したい。