花見候、邦楽の演奏会に行きました。
花見候、邦楽の演奏会に行きました。
緑の多き静寂な中、和ませて頂き街中で忘れていた自然界の尊さを実感させられました。
大きな道路から少し入ったとは思えないほど緑が豊かな所でした。
歴史も有るようです。
大坂遷都ゆかりの寺 慶応3年(1867)徳川慶喜大政奉還 慶応4年(1868年9月に明治と改元)大久保利通が京都の公卿の影響を避け薩摩、長州による政権を夢見た『大坂遷都案』を建議 京都の公卿が異議を唱えるのは必然と考え民衆に天皇の威厳を示す名目を造り行幸という形式を繕いながら内心には公卿より薩長が政権を取る遷都実現の為、通常の行幸では有り得ぬ三種の神器『八咫鏡』を伴った行幸、(本来宮中に在り不動)つまり賢所が在り天皇が居られれば其処が都という定義を繕った。
慶応4年3月21日京都を出立、天皇は淀川を船で賢所(鏡)は若しもの事が有っては(昔に・・・)成らぬと御羽車で陸路を取られ盛泉寺本堂前に賢所を奉安されたが正門では御車が通らぬ為、正門横に門を新設、其の御門を塀と塀が重なる事から塀重門と呼ばれて居る。
江戸城が勝海舟等により無血開城となり前島密の提案によって急遽、江戸遷都と成ったが正式には天皇の裁可が下されて居らず、京都の人々は未だに東の京から戻って来られると言い伝えられて居る様です(天皇象徴の椅子 高御座は現在も京都御所に在ります) 守口御坊盛泉寺も参照して下さい。
名前 |
盛泉寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
06-6991-2028 |
住所 |
|
評価 |
4.0 |
明治天皇の時に三種の神器が一時保管されたお寺。