菅江真澄 本名白井英男は天明3年1783年30歳...
角館駅から駅から散歩で訪問。
武家屋敷をみて、神社をまわって駅まで戻り、1時間弱の散歩。
御朱印は、書き置きが置いてある。
神社の入口が分からなく、神社の周りを一周してしまった。
旅の途中に立ち寄らさせて戴きました。
こちらの情報がなかったら駐車場は分からなかったと思います。
ですが、大きな車や車高が低い車はやめた方がいいです。
御朱印は賽銭箱の上にあります。
角館に行った折り、寄らせていただきました。
階段を上がったところに社殿があり、眺めもよかったです。
コロナ対策で、御朱印は賽銭箱の上に書き置きを置いてありました。
角館の観光で、ここに行く予定を立て訪れました。
元々を見ていませんが、雪に覆われた高台にあり、雰囲気が良かったです。
社殿に掛けられた社号標が大きかったです。
社務所で声を掛けると、出て来られて御朱印を戴けました。
ただ手水は出来ませんでした。
秋田県角館市にあります。
JR角館駅から徒歩10分位のところにあります神社です。
お賽銭箱の上に書き置きの御朱印があり、いただきました。
小高い山の中腹にあります。
階段ですが、普通車なら坂道を上り停められます。
小京都角館、武家屋敷まで徒歩15分位です。
素晴らしい景観と厳かな雰囲気が漂う神社です!気持ちが引き締まります。
菅江真澄終焉の地三河の人、 菅江真澄 本名白井英男は天明3年1783年30歳で故郷を出発し北を目指して旅に出た。
信州から越後を通って秋田の地に足を踏み入れたのは翌年の暮れのことである。
それから45年一度も故郷に帰ることなく奥羽の北辺から蝦夷にまで足を伸ばして数多くの紀行文や地誌を残し 常民の暮らしや生業に絵を添えて克明に記録した作品群は明治の末、日本民俗学を確立した柳田国男によって民族研究の鼻祖と高く評価された。
文政12年1829年 地誌「月の出羽路 仙北郡」の調査の途中、隣町の田沢湖町神代で病になり、この地の神宮鈴木家に移された後、7月19日76歳で没した。
この碑は昭和3年春100年祭を挙行した際「角館史考会」によって建立されたものである。
女性の厄年にあたるので近いうちにお祓いをしてもらおうとして電話しましたうちは、まだ先祖がいませんが本家が家族ここにお願いしているので私も何かの時には、利用してます(新車を買ったとき等もお祓いをしてもらってました)階段が大変ですが、私にはご利益ありかと、
名前 |
角館總鎭守 神明社 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0187-53-2376 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 8:00~17:00 |
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
山の上に有りますが、ナビが指す方向と反対側に登り口が有ります、杉林に囲まれた風情有る神社です、月別の御朱印だったり種類が豊富です。