本殿の中は絵が飾ってあって意外とちゃんとしています...
小物忌さまをお祀りしているようです。
神名帳の出羽國飽海郡の項に記載のある小物忌神社の論社の一社。
県道371号線沿いに大きな朱色の鳥居があるので、そこを入って、剣積寺の奥をさらに進むと境内まで車で入れる。
参道は長く、二之鳥居の先は森の中を歩いているようだ。
なかなか雰囲気があって、良いと思う。
創建時期は不明だが、社伝によると、大同年間に剣が一振り飛んできて、この地に落ち、それを御神体とした、という。
これは何か鳥海山の噴火と関係あるのかというと、鳥海山は記録に残るところでは三代実録に810年~823年の弘仁年代、871年の貞観年代に噴火または溶岩流出の記録が残っている。
したがって大同年間に噴火があったかどうかはわからない。
また御神体には石が2個ある。
どのような石なのかわからないが、当社は参道入口にある剣積寺が管理する神仏習合の神社であり、本地仏を薬師如来像、脇侍として日光・月光菩薩像を祀っていた。
鳥海山から飛んできたという御神体の剣は薬師如来像の背後に、2個の石はそれぞれ、日光・月光菩薩像の背後に置かれている。
劍龍神社を鳥海山の方へ県道60号線の奥まで進むと、高瀬峡へ向かう道がある。
この高瀬峡はこの神社の山伏の修験の場であった。
ちなみに現在のご祭神は大己貴命。
立派な鳥居があったので行ってみたら荒れ放題。
それでもいくらか地域の人が手入れをしている気配もある。
気持ちばかりの賽銭を入れて手を合わせた。
大同年間(806-810)に鳥海山から飛んできた宝刀を御神体として創建、御祭神は大己貴尊、つまり出雲大社と同じ大黒様。
延喜式神名帳において出羽国三宮である小物忌神社の論社、つまり千年前という古すぎる記録の中の小物忌神社を後継する可能性のある神社。
神仏習合で「剣龍山大権現」、本地仏は薬師如来、眼病に御利益として信仰を集める。
また、近隣が修験場であった為、修験僧が祭祀を執り行った。
尚、参道には宿坊の面影を残す建物が残存する。
しかし管理していた方々は既に鬼籍なのだろう、朽ち果てているものも多いのが残念でならない。
2016年09月30日最初に訪れてから三年は経ったろうか、下手をすると五年経っているかも知れない。
久々に訪れたこの御社は以前よりも心なしか鬱蒼としており、参道の家々も自然に帰る運命をより色濃く見せていた。
それでも不思議とここの空気は澄んでいる。
管理が行き届かなくなって鬱蒼とした神社というものは大抵の場合、空気が滞留してじめっとした不快な湿気のようなものを感じるのであるが、この劔龍神社はむしろ心地よい清浄な湿度に包まれているのである。
恐らく神様がまだここにおわすのだろう、それが大己貴尊かどうかはわからぬが、いずれにしても偉い神様には違いない。
前回と違って今回は幸運にも拝殿の扉が空いていた。
最低限社殿が傷まぬようにしっかり管理してらっしゃる方がいらっしゃるのだろう、折角なので失礼して上がらせて頂いたのである。
畳には虫の死骸が転がっており、薄暗く湿度に充ちていた。
何度も言うがしかし、不快な感触というものが全くない。
そもそも不快で邪悪な空気を感じる社殿の中に入る勇気なぞ、胆試しすら遠慮する私が持ち合わせているわけなぞない。
薄暗い社殿の中は不思議と心地よい湿度に包まれており、気付くと私は正座してしばらくぼんやりと本殿の方を眺めていた。
ぼんやりと、しかし何か清々しいものが充ちてくるのを感じつつ、その場にいたのである。
またここを訪れるのはきっとそう遠い先のことではない。
しかしその時、果たしてこの神社は、この神社の神様は再び清々しい空気で我々を迎えてくれるだろうか。
過疎化の一途を辿る限界集落、その懸念はどうしても拭うことができないのである。
本殿は彫刻も少なくて素朴な感じですが、本殿の中は絵が飾ってあって意外とちゃんとしています。
手水の水がなかったり、なぜか本殿に虫の死骸が詰まったポットが落ちていたり、空き瓶やポリタンクが置いてあったり、境内に徳利が埋められていたり、灯籠に電球が何個も突っ込まれていたりして、きちんと管理されていない感じで、どうしてそうなったのかと聞きたいくらいに奇妙な荒れ方をしています。
大同年間(806-810)に鳥海山から飛んできた宝刀を御神体として創建、御祭神は大己貴尊、つまり出雲大社と同じ大黒様。
延喜式神名帳において出羽国三宮である小物忌神社の論社、つまり千年前という古すぎる記録の中の小物忌神社を後継する可能性のある神社。
神仏習合で「剣龍山大権現」、本地仏は薬師如来、眼病に御利益として信仰を集める。
また、近隣が修験場であった為、修験僧が祭祀を執り行った。
尚、参道には宿坊の面影を残す建物が残存する。
しかし管理していた方々は既に鬼籍なのだろう、朽ち果てているものも多いのが残念でならない。
2016年09月30日最初に訪れてから三年は経ったろうか、下手をすると五年経っているかも知れない。
久々に訪れたこの御社は以前よりも心なしか鬱蒼としており、参道の家々も自然に帰る運命をより色濃く見せていた。
それでも不思議とここの空気は澄んでいる。
管理が行き届かなくなって鬱蒼とした神社というものは大抵の場合、空気が滞留してじめっとした不快な湿気のようなものを感じるのであるが、この劔龍神社はむしろ心地よい清浄な湿度に包まれているのである。
恐らく神様がまだここにおわすのだろう、それが大己貴尊かどうかはわからぬが、いずれにしても偉い神様には違いない。
前回と違って今回は幸運にも拝殿の扉が空いていた。
最低限社殿が傷まぬようにしっかり管理してらっしゃる方がいらっしゃるのだろう、折角なので失礼して上がらせて頂いたのである。
畳には虫の死骸が転がっており、薄暗く湿度に充ちていた。
何度も言うがしかし、不快な感触というものが全くない。
そもそも不快で邪悪な空気を感じる社殿の中に入る勇気なぞ、胆試しすら遠慮する私が持ち合わせているわけなぞない。
薄暗い社殿の中は不思議と心地よい湿度に包まれており、気付くと私は正座してしばらくぼんやりと本殿の方を眺めていた。
ぼんやりと、しかし何か清々しいものが充ちてくるのを感じつつ、その場にいたのである。
またここを訪れるのはきっとそう遠い先のことではない。
しかしその時、果たしてこの神社は、この神社の神様は再び清々しい空気で我々を迎えてくれるだろうか。
過疎化の一途を辿る限界集落、その懸念はどうしても拭うことができないのである。
名前 |
劔龍神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
県道371号線沿いに大きな鳥居を見つけたので、お参りに行きました。
そこから歩くこと1キロ、山中深いところにありました。