煙で燻されて全身イブ臭くなりました。
常に囲炉裏に火を入れ茅葺屋根の維持をしている。
此処は、松尾芭蕉と弟子の河合曾良が山形で最初に投宿した家です。
馬のリアル人形にドキッちょうど行ったときは囲炉裏に火が入ってて、煙で燻されて全身イブ臭くなりました。
松尾芭蕉に思いを馳せながら見学しました大人250円。
鳴子温泉の尿前の関で怪しまれた芭蕉と曽良は、足止めをくらい、ここ堺田の封人の家にたどり着いた時には、日が暮れていたそうです。
なた伐り峠を越えるために案内人が必要で、案内人の手配が着くまで、庄屋であった、この有路さんの家に泊めてもらったそうです。
尿前の関ではありませんが、蚤シラミの句碑が置いて有ります。
旧有路家住宅は松尾芭蕉が奥のほそ道で泊った「封人の家」のことらしい。
芭蕉の発句「蚤虱 馬の尿する 枕もと」(松尾芭蕉)芭蕉の句の「尿する」については昔からどのように訓よむのかの議論がある。
「バリする」では卑俗な発音であるし、「シトする」はなんとも上品な響きとなる。
そもそも「尿する」などの下品な言葉で句作したのが問題なのだが、人と馬が同じ屋根の下で寝る「封人の家」での宿泊で、芭蕉たちはさぞかし凄まじい体験をしたのだろう。
まあ、「尿する」という語句を使ったのは、「封人の家」に至る前に「尿前の関」という出羽街道の関所を越えてきたイメージが残っていたのだと思う。
芭蕉と曽良は、尿前の関で厳しい取り調べを受けたようで、なんとか関を越えたことが「おくのほそ道」に記述されている。
個人的には「ニョウする」と思ってました。
タイムスリップしたかのような空間!梅雨寒の日でしたから囲炉裏の火が心地よい煙と管理の方の素朴なご案内がありとてもいい時間てした。
自転車旅行の最中、大雨で動けなくなってしまったところを大変親切におもてなしいただきました。
タオルをお借りし、いろり端で休ませていただき、温かいお茶をごちそうになりました。
そんなに見るものはありませんが時間に余裕のある方は○
芭蕉に思いを馳せながら。
重みのある、貴重な建物でした!ご案内のご主人に、囲炉裏でお茶をご馳走になりました!
奥の細道 芭蕉の歩いたところはみな 観光名所になっている!と おじさんの説明あり、、、
芭蕉も泊まった所で、夏でも気温が25度までしか上がらないそうです。
入館したら囲炉裏で沸かしたお湯でお茶が振る舞われる。
国指定重要文化財です。
駐車場は道路の向かいにあります。
江戸時代この地区の庄屋をやっていた有路家が住まわれていた大きな家です。
この地区は冬は非常に寒く雪も多いため、寒さ対策が大変なようです。
雪が家を包み込むほど積もると、かまくらの原理で少し暖かくなるとの事でした。
関東南部に住んでいる私にはなかなか想像できないです。
「蚤虱馬が尿する枕もと」の関守の宿。
関所を守る人のことを封人と呼ぶ。
異邦人はカミュより久保田早紀の方が有名なのは歌のせい。
「尿u003dばり」を詠むところから芭蕉の愚痴がこぼれていて、なんとも言えない可笑しみがある名句。
乞食僧の境涯で赴いたみちのくなんだけど、汚い宿は大嫌いな俳諧師。
泊めてくれる宿があるだけマシだべさー笑。
芭蕉を慕う人の聖地。
お茶を啜りながら、悠久の時に浸れる場所。
雪が積もる冬は、閉館しているらしい。
中に入れます。
松尾芭蕉が宿泊した由緒ある建造物です。
案内の方がとても親切でした。
囲炉裏の火が暖かい。
元禄2年(1689)5月15日、芭蕉と曽良は最上町堺田の〔封人の家〕に泊めてもらっている。
翌日も雨で滞留、快晴となった17日に山刀伐峠を越えて、尾花沢に向かっている。
芭蕉句碑 蚤虱馬の尿する枕もと 封人とは国境を守る人。
The house of border guard(奥の細道 ⇒ 山刀伐峠)
地学的に面白い。
ブラタモリが好きな方は是非。
名前 |
旧有路家住宅 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0233-45-2397 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 9:00~17:00 |
関連サイト | |
評価 |
3.6 |
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旧有路家住宅(封人の家)は、江戸時代に役場や国境の警護の役目も果たしていた役人の家。
有路家は仙台領との境に位置し、代々新庄領堺田村の庄屋を務めていた名家です。
築350年ほどの建物は、国の重要文化財に指定されております。