岸壁に張り付くように建てられています。
初夏はアカシアが満開で、景色もよい。
毛虫が結構いるので、車やバスに乗る前に体についてないか気をつけて。
大鍋のある駐車場から赤い橋を渡った所の社務所で御朱印を頂けます。
趣があって良いところです。
とても静かなところで落ち着けます 歴史の長い長い歴史の 長さを感じます。
初代なべ太郎のある駐車場から徒歩10分程度で歩いて行けます〇唐松観音堂は、県内唯一の懸崖造りの建物で、かつ最上三十三観音の第5番の札所。
この唐松観音の由来は、伝説によれば、京都一条殿の息女豊丸姫が、清水観音のお告げで、宝沢村に住む炭焼き藤太という若者が姫の夫になる人であるというので、はるばるこの地に来て藤太と夫婦になって4人の男子を生んだ。
その後姫は、都より守護仏として持参した1寸8分の金無垢の観音仏を、唐松山の岩窟に安置して堂宇を建てたのが、唐松観音のはじまりと伝えている。
懸崖造りのお堂になったのは、江戸時代のはじめで、寛文元年(1661)3月、山形城主松平下総主忠弘によってである。
唐松山護国寺と命名して、山形城の鬼門の守護仏とした。
その後建物は元文2年(1737)に再建されたが、戦前から戦後にかけて荒廃が甚だしかったので、昭和51年5月、有志によって見事に改築復元され、現在名所の一つとなっている。
ナビで行った駐車場はちょっと違った。
初代日本一の芋煮会鍋の駐車場から古いような橋を渡って徒歩十分位でした。
御堂の天井が綺麗でした。
初代なべ太郎のある駐車場から徒歩10分程度で歩いて行けます〇唐松観音堂は、県内唯一の懸崖造りの建物で、かつ最上三十三観音の第5番の札所。
この唐松観音の由来は、伝説によれば、京都一条殿の息女豊丸姫が、清水観音のお告げで、宝沢村に住む炭焼き藤太という若者が姫の夫になる人であるというので、はるばるこの地に来て藤太と夫婦になって4人の男子を生んだ。
その後姫は、都より守護仏として持参した1寸8分の金無垢の観音仏を、唐松山の岩窟に安置して堂宇を建てたのが、唐松観音のはじまりと伝えている。
懸崖造りのお堂になったのは、江戸時代のはじめで、寛文元年(1661)3月、山形城主松平下総主忠弘によってである。
唐松山護国寺と命名して、山形城の鬼門の守護仏とした。
その後建物は元文2年(1737)に再建されたが、戦前から戦後にかけて荒廃が甚だしかったので、昭和51年5月、有志によって見事に改築復元され、現在名所の一つとなっている。
岸壁に張り付くように建てられています。
どうやって造ったのか気になります。
お堂の中には誰もいませんが,橋を渡った入口の所に社務所のようなところがあり,こちらで御朱印ももらえます。
自分で木魚を叩き、そして般若心経を唱える事ができる素朴な観音堂、最上33観音、5番札所。
崖に建っており外からの雰囲気は良い。
蜂がいることがあるので注意。
最上三十三観音 第五番札所 唐松観音駐車場には巨大な芋煮ナベが飾っており 秋には河川敷が芋煮会で賑わっているようです。
橋を渡って参道を登り観音堂へ最後の階段が急です観音堂はかなり開放的で見晴らしが良いです橋のたもとに御朱印受け所がありますが別当が来るのが10時位なのでそれ以前に御朱印を頂きたい方は別当宅へ連絡して行った方が良いかもしれません。
別当宅の玄関には大きな犬がいるけど あまり吠えません。
趣きがある観音さま。
ただし、おみくじの機械にお金を入れても音はするが、おみくじ自体は出てこない可能性大。
横にあるインターフォンはあるだけで、反応しない。
おみくじは諦めて、お願いだけ聞いていただくのが得策。
中に入れるお堂床がタイル、灰皿があったり、生活感のある空間。
名前 |
唐松観音駐車場 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
22年7月2日唐松観音堂への橋の上からホタル見れました!