そのうちの1軒である須賀喜多郎家の屋敷。
倉賀野宿の脇本陣跡です。
倉賀野宿は中仙道と日光例幣史街道の追分宿として栄えていたようです。
今は隣宿の高崎の方が圧倒的な市街地ですが、高崎は城下の武家屋敷町と言う事もあって宿場としては規模がかなり小さかったようです。
代わりに倉賀野宿には本陣、脇本陣があり、且つ利根川水運の起点としての機能もあったようで、大層な賑わいを誇ったとの事です。
今は車の交通量だけは多いですが、商業的には静かな場所へと変化しています。
また現在も人が住んでるようで、門内への立ち入りは出来ずに石碑を眺めるだけの場所です。
カジュアルな宿場町でした。
中山道倉賀野宿は、日光例幣使街道との追分(分岐点)があったとともに、烏川~利根川を利用した江戸との舟運により大きく発展しました。
隣の高崎藩は歴々の譜代大名が治める武家町。
風紀も厳しく堅苦しい宿場町は市井の人々にはあまり人気がなかったようです。
その反動(笑)として、ここ倉賀野は旅籠や飯盛女が集まり、また上毛各地の名物も集まることから、多くの旅人で賑わったようです。
やはり旅の楽しみはやはり繁華街。
今も昔も人間は変わらないですねー。
石碑だけでなく家そのものが令和になっても残っているのが驚きです。
現在住人がいらっしゃるのか公開されているのか、情報を聞いてみたい人にとっては興味津々でしょう。
佇まいだけでも歴史を感じさせられます。
表に名が彫られた石碑があります。
かつては旅籠だったようです。
倉賀野宿には脇本陣が2軒あったが、そのうちの1軒である須賀喜多郎家の屋敷。
道を挟んだ南側、銀行の西隣りはもう1軒の脇本陣兼河岸問屋で、須賀庄兵衛家が代々世襲していた。
名前 |
中山道倉賀野宿脇本陣須賀喜太郎家跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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改築前の昔の写真。