南大門の不思議な歴史。
額塚の特徴
南大門の扁額には歴史的な重みがあり、訪れる価値があります。
天平宝字8年の洪水の伝説が受け継がれている場所です。
巨大な穴ができた伝説を知ることで、歴史が身近に感じられます。
天平宝字8(764)年の5月、興福寺南大門の芝生に巨大な穴ができて、洪水がおきて人々が往来ができなくなりました。
占わせると、南大門に掛かっている「月輪山」の額にある「月輪」が水と縁がある言葉だから水が出るとのことで、これを取り外すと洪水もおさまったそうです。
その額を埋めたのがこの塚だと言われています。
(高田十郎『大和の伝説』)
興福寺のHPにのっていません。
ブログなどで調べましたが、よく分かりませんでした。
古墳時代の古墳ではなくて、他の時代のものなのかな?(分からない)
名前 |
額塚 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
2.5 |
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南大門(興福寺)に月輪山(がちりんざん)の扁額を掛けたところ突然木が倒れたり地面から突然水が吹き出して大穴が開くなど魔障が起きたそうです。
その額を門横に埋めて塚としたら収まってたと伝わる所です。
山号は中国で禅宗寺院が多くなり過ぎて同名寺院を区別するため◯◯山の◯◯寺と区別するようになったのが始まりだそうなので比叡山延暦寺や高野山金剛峯寺のような山でもない有名な興福寺には必要がないのに付けてしまった方がおられたようです。
ちなみに月輪山(つきのわさん)は興福寺の前身の「山階寺」があった中臣(藤原)氏の本拠地と京都の間にあり泉涌寺の月輪陵(天皇墓所)の裏山です。
北側の滑石越沿いには豊臣秀吉や坂上田村麻呂など征夷大将軍のお墓もある現在では想像もできない交通の要所です。