天山公廟覚乗寺高台院霊屋 / / / .
駐車場なし。
下の観光物産館から10分ほど歩きます。
説明文を読む限り、完全復元なのか、旧来の形態に戻したのか(どの辺りを戻したのか)等がいまいち不明です。
伊達一門・第5席、登米伊達氏の4代領主、伊達宗倫(天山公)の霊屋として、寛文12年(1672)に建立されました。
覚乗寺は寛文6年(1666)に宗倫により再興された寺です。
宗倫は伊達宗家より養子として登米にきていたこと、覚乗寺を再興していたことなどから、登米伊達氏の菩提寺である養雲寺には葬られず、覚乗寺に理葬されました。
この霊屋は天山廟とも呼ばれ、昭和47年に1年以上の時間をかけて修復作業が執り行われました。
40年以上前になされた修復作業なので、色褪せ等は否めませんが江戸初期に造られた仙台藩霊屋建築の秀作と言われているそうです。
名前 |
天山公廟覚乗寺高台院霊屋 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.city.tome.miyagi.jp/machi/tourism/library/tazunearuki/toyoma02.html |
評価 |
4.0 |
覚乗寺は、葛西氏滅亡後しばらく荒廃したが、寛文6年(1666)登米5代の伊達式部宗倫が再興した。
宗倫は宗家より養子となって登米にきていること、覚乗寺を復興していることなどから、菩提寺の養雲寺に葬られず、とくに覚乗寺に埋葬された。
本霊屋は天山廟とも称し、寛文12年(1672)に竣工した。
方3問、前面に向拝及び縁をつける。
素木造、床板張、屋根は宝形造、こけら葺。
内部は、須弥壇の上に壮麗な家形厨子を置き、須弥壇の床下に石畳の墳墓を設けている。
禅宗様の簡素堅実な技法を示し、厨子は極彩色を施し精巧である。
松島の圓通院霊屋とともに仙台藩霊屋建築の秀作とされている。