外山脩造につながる人物ですやっと終焉の地へ来れまし...
久しぶりに訪れてみました。
何度来ても無念さと思いもよらない時代の流れ、どのような思いで最後を迎えたのか?
2022年10月1日、旧暦8月16日、継之助の命日に訪れました。
この時期でも蜂が多かったです。
蜂の襲撃により焼香もそこそこに、逃げるように後にしました。
奇しくも只見線全線運転再開の日でした。
2022/07/16 (土) 晴只見町 河井継之助記念館の見学後に、歩いて数分の場所のお墓を、お参りさせて頂きました。
きれいに整備されておりました。
合掌。
命日のお墓参りに、今年もcovid-19蔓延で伺えなかったので、記念館参館後にお参りしました。
映画「峠」の放映が、来年に再再延期になっているので、静かです。
2022年5月15日に再訪しました。
前回は、数年前、3月末の時期でしたので、残雪に埋もれていました。
長岡市の御墓は、何度か壊されたことがあったとうかがっています。
慶応4年1868年の鳥羽伏見の戦いから始まった戊辰戦争ですが、5月には、長岡戦争に突入し、7月末に長岡城が陥落しました。
敗残の長岡藩兵は、八十里越といわれる峠を越えて只見に落ち延びます。
この中に家老の河井継之助の姿がありました。
重傷を負い、担がれた状態で塩沢の医師、矢沢宗篤宅にたどり着きますが、ここで亡くなられました。
火葬され、村人により、ここ医王寺に葬られました。
命日である8月16日に墓前祭が執り行われているそうです。
河井継之助記念館に来たのであれば合わせてこちらのお墓もにも寄って手を合わせてみて下さい。
この辺りの雰囲気が感じられるとても厳かな場所です。
豪雪地帯の只見だけにゴールデンウィークでも雪が残っていました。
名前 |
河井継之助の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.5 |
ほぼ一年ぶりに訪問しました河井継之助は某ゲームで知った人物山本五十六、外山脩造につながる人物ですやっと終焉の地へ来れました。