名前 |
清水誠顕彰碑 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.5 |
「金沢藩の留学生がマッチを作る」日本マッチ産業の創始者 清水誠先生の碑。
明治3年(1870年)25才の時金沢藩の留学生としてフランスに渡り、理工系学校の名門エコール・サントラル・パリに留学、そこで理工学を修得する。
この時に学んだ知識がマッチ開発の際に役立ち、マッチ工場を操業。
独占せず広く他社にも製法の指導を行い、マッチが日本の主力輸出産業となったが、同時に多くの粗悪品も輸出され信用を失う。
54才の時急性肺炎で早逝しました。