鈴木大拙の生誕地、立ち寄る価値あり!
鈴木大拙誕生地記念碑の特徴
鈴木大拙の生誕地として、歴史を学べる貴重なスポットです。
銅像にかけられたマフラーが、訪問者の心を和ませます。
記念館とは一味違った、魅力的な訪問先として人気です。
鈴木大拙の生誕地。
仏教哲学者の鈴木大拙の本名は、貞太郎。
郷土が同じ西田幾多郎,藤岡作太郎と仲も良く、「加賀の三太郎」と呼ばれた。
(AUの三太郎とは少し、違う。
)22歳で上京,鎌倉円覚寺のもとに参禅し、「大拙」の名をいただいた。
1897年渡米し,前途多難かと思われたが、「禅と日本文化」などを著し、「ZEN」を広めた。
1911年、アメリカ人のビアトリス・レーンと結婚し、コロンビア大学、ハーバード大学で講義を持つこともあった。
仏教と禅を世界に広めるという生前の功績は大きい。
銅像にマフラーが掛けられていた。
記念館とは違った場所です。
記念館より約50メートルも離れてはいないが見つけるのはちょっと難しいかな?まぁ大正か昭和の初めに此処は北國漁網と言う事業所があり、並びには天理教の支部があったり、豪邸が立ち並ぶ屋敷町だった、向かいには金城女学校と言う今の遊学館高校があり工業高校やら幼稚園も〜旧藩士の家を改造した園があったり、静かなでも商店などもあり、私にはとても不思議な町であった。
其処に70年住まいして終の棲みかもと〜思っていたが、屋移りをしてしまった。
大拙師の時代、此の地は私達のいる時代のように静かで本当に屋敷町の雰囲気がたちこめていたのだろうか?私の青年期辺りまで屋敷の外まで能の謡曲を歌う声や、鼓の音が聞こえ家人は洋服よりは和服の〜と当たり前な姿を見せていた。
魚の担ぎ商いでわ自転車だったがリヤカーを牽いて一軒一軒と回っていた親父達の姿があり刃物研ぎの商いやら様々、屋敷まちには出入りしていたし、今は全く静かですが、また違った雰囲気で勿論、大拙師の時代はもっと武士の面影が残っていたに違いない。
ふと司馬遼太郎の街道を行くのシーンを思うのだが、面影もいまではマンションやら駐車場に代わりもう屋敷は数えるばかりになりました。
肝心な場所の目標は、大和ハウスのマンションが目の前にあり気が付けば、記念碑は直ぐ分かります。
名前 |
鈴木大拙誕生地記念碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
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とりあえず立ち寄る場所。