増田の始まりと言っても過言ではないと地元住民として...
この場所は、増田の始まりと言っても過言ではないと地元住民として思っております。
ここの二本杉には愛娘を生き埋めにし城の堅固と町の安寧を願いました。
現在の増田は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されその繁栄はこうした想いがあればこそと思います。
やがて、城主が変わりこの二本杉悲話を耳にした土肥の殿様は供養のためにこの塚で念仏踊りを奨励しました。
これが、現在の増田盆おどりのルーツとなります。
この盆おどりの特徴は1番から5番までの振り付けがあり、この二本杉悲話に沿った振り付けとなっております。
毎年7月に姫の命日に近い20日頃に奉納盆おどり、8月に盆おどり大会となっております。
詳しくは増田町観光協会か増田盆おどり保存会にお問い合わせ頂ければと思います。
南北朝時代後期の貞治2年(1363)に小笠原義冬が増田城の築城にあたり、城の堅固と武運長久を祈り、愛娘と牛を人柱として生き埋めにし、その上に二本の杉を植えたと伝わっている。
この碑は、姫の三十五日忌に建立された供養碑で、造年号から通称「貞治碑」と呼ばれる。
大正13年(1924)、増田小学校新築の際に南の土塁より発掘された。
貞治2年(1363)6月9日、景高という人物が正寿禅尼の35日忌に際し建立したもの。
名前 |
貞治碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
貞治とは年号のこと。
歴史の史実に衝撃をうけた場所。