2022年9月25日に参拝しました。
2022年9月25日に参拝しました。
金成の畑村に住んでいた藤太と京都から来たおこや姫が夫婦となり、橘治(きちじ 橘次)、橘内(きちない)、橘六(きちろく)という三人の子をもうけたと云います。
息子達は、金田八幡宮の山裾に東館、南館、西館を建てて住んだそうです。
兄弟は、奥州藤原氏3代秀衡に仕え、奥州産の金を扱う豪商となりました。
特に兄の橘治は、源義経を平泉に案内した人物(金売橘治信高)として有名です。
藤太夫婦は、平安末期の仁安年中に亡くなり、常福寺の裏山(寺場山)にお墓が建てられました。
しかし、風化で傷みが激しかったため、正徳5年1715年にこの地に移されたそうです。
名前 |
炭焼藤太夫婦の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
子供の頃行ったことがあります。
奥州藤原氏、義経の歴史の中に出てくる金売り吉次のお父さん、お母さんのお墓。