八剱神社となったと言われてます。
境内に古い道標が3本集められて立っています、古代大和川の河口に島が有りその西側に宇賀御魂之神が祭られていた、1719年には氏神稲荷と承認されています、御祭神は宇賀御魂之神(稲荷の祖神)八剣大神、八剣大神なので八剣神社と成っているが狛犬の代わりに狛狐に成っています。
菱屋東に鎮座しています。
JR線と近鉄線との中間に鎮座される神社。
住宅街に有りますが静かで心安らぐ空間でした。
東大阪若江岩田から北へ10分銀杏の葉っぱが落ちて風情あり☺️
入口付近に、古そうな石の標識があります。
たぶん方向は正確ではないです。
狛犬の代わりに、狐が居ます。
しかし稲荷神社ではないみたいですので、不思議です。
八剱神社は由緒書によれば、神社付近は島と呼ばれ応永3年(1396年)に、宇賀御魂神を勧請後、放出にある阿遅速雄神社の味耜高彦根命を加えて、八剱神社となったと言われてます。
神社には駐車場はありませんので、周辺のコインパーキングを利用してください。
自転車・バイクは全面道路に駐輪は可能です。
宮司は常駐しておりませんので、御朱印は分かりません。
トイレはありません。
この地は、現大阪市鶴見区の放出村と縁があるようです。
大和川開削以前は、川の文化があったとはいえ、直接的に放出と繋がるような環境もありませんし、陸上交通の街道つながりというわけでも無さそうです。
なぜ、放出村にこだわるかというと、私の生まれ育ちが放出界隈だったからです。
こんな場所に放出とつながる縁があったとは不思議な感じもします。
また、この神社を知ったのは、暑い夏の日、突然の雨に降られて、雨宿りのために軒先を借りた時です。
何だか神様に呼ばれたような偶然でした。
以下、同神社にある案内板の内容です。
◎御祭神二柱・宇賀御魂之神(稲荷の祖神)・味粗高彦根之命(八剣大神)境内は古代大和川河口に島があって、その西側に宇賀御魂之神が祭祀してあった。
応永3年(1396)9月の頃、先住者が剣を造っていたと云う。
此の地区は古菱江川を開拓して出来た地で、菱屋新田と云う。
宝永2年(1705)戸数13戸であった。
享保4年亥(1719)に氏神稲荷として承認されている。
◎菱屋東八剣神社由緒新羅の僧が熱田の宮に鎮ま座す神剣を盗み船にて本国に帰国途中河口で大嵐に遭いこれは神罰と恐れをなして神剣を河中に放り逃げ去った。
その後、この地の里人が神剣を拾い、放出村の阿遅速雄神社に合祀奉斎後、熱田宮に奉還された。
時は移り変わって、宝暦3年(1753)には戸数51戸(男132人・女123人)になる。
此の地にも神社創建請願の声が高まり裁可され、この地の守護神として放出村より、味粗高彦之命(八剣大明神)を迎へ頭文字を受け八剣神社を祭祀した。
文久2年(1862)4月16日◎現在境内には・文久9年壬申(1813)の鳥居・弘化4年丁未(1847)宮入提灯・昭和34年10月(1959)神殿拝殿建立・昭和46年10月(1971)境内整地、玉垣建立・平成8年7月(1996)神殿拝殿改修、幣殿増築これらは、昔から信仰されていた事を物語っている。
この地は、現大阪市鶴見区の放出村と縁があるようです。
大和川開削以前は、川の文化があったとはいえ、直接的に放出と繋がるような環境もありませんし、陸上交通の街道つながりというわけでも無さそうです。
なぜ、放出村にこだわるかというと、私の生まれ育ちが放出界隈だったからです。
こんな場所に放出とつながる縁があったとは不思議な感じもします。
また、この神社を知ったのは、暑い夏の日、突然の雨に降られて、雨宿りのために軒先を借りた時です。
何だか神様に呼ばれたような偶然でした。
以下、同神社にある案内板の内容です。
◎御祭神二柱・宇賀御魂之神(稲荷の祖神)・味粗高彦根之命(八剣大神)境内は古代大和川河口に島があって、その西側に宇賀御魂之神が祭祀してあった。
応永3年(1396)9月の頃、先住者が剣を造っていたと云う。
此の地区は古菱江川を開拓して出来た地で、菱屋新田と云う。
宝永2年(1705)戸数13戸であった。
享保4年亥(1719)に氏神稲荷として承認されている。
◎菱屋東八剣神社由緒新羅の僧が熱田の宮に鎮ま座す神剣を盗み船にて本国に帰国途中河口で大嵐に遭いこれは神罰と恐れをなして神剣を河中に放り逃げ去った。
その後、この地の里人が神剣を拾い、放出村の阿遅速雄神社に合祀奉斎後、熱田宮に奉還された。
時は移り変わって、宝暦3年(1753)には戸数51戸(男132人・女123人)になる。
此の地にも神社創建請願の声が高まり裁可され、この地の守護神として放出村より、味粗高彦之命(八剣大明神)を迎へ頭文字を受け八剣神社を祭祀した。
文久2年(1862)4月16日◎現在境内には・文久9年壬申(1813)の鳥居・弘化4年丁未(1847)宮入提灯・昭和34年10月(1959)神殿拝殿建立・昭和46年10月(1971)境内整地、玉垣建立・平成8年7月(1996)神殿拝殿改修、幣殿増築これらは、昔から信仰されていた事を物語っている。
この神社の入り口付近に、三本の道標が無造作に置かれている。
近くにあった道標を境内に移動したものらしい。
一本は、いせ・ならへの道標。
一本は、右ひょうたん山。
ひょうたんのところが絵になっている。
もう一本は右鳴川山 千光寺・役行者道とある。
この神社の前を暗越奈良街道が走っている。
すぐ西には河内街道。
ここは交通の要衝だったのである。
住宅街の中にある神社。
名前 |
八剱神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
4.2 |
暗越奈良街道ハイキングで立ち寄りました。