文教、殖産興業の守護神として広く信仰されています。
平濱八幡宮・武内神社 / / / .
お祭りが、中止でしたが、お参りしっかりしました。
屋台もなく寂しいものですが、神様の功徳は、素晴らしいと思います😊
8月31日にはお祭りがあって屋台がたくさん出ます。
もう何年も行ってませんが。
普段は空いています。
交通事故や病気が治るという神様だと聞きました。
私の母からは命を一生に一度だけ助けて下さる神様だと聞いています。
その為、義父が5月に亡くなりそうになってから、夫と行ってきました。
絵馬を同じく病身で入院中の実母と共に飾ってきました。
もう80代ですので、亡くなっても仕方がないと思いつつ、義父は精神も患っているのでこちらも良くなり、家族も幸せに穏やかに暮らせると良いと願ってきました。
地元では武内神社として有名であるが900年を超える歴史がある平濱八幡宮の境内社として武内宿禰を祭神とする武内神社がある。
正面が平濱八幡宮、左隣が武内神社である。
8月31日には武内神社の地元では親しみを込めて たけうっつあん と呼ばれる例大祭があり夏祭りの最後としてたくさんの参拝者が訪れる。
子供たちにとっては武内神社例大祭が終わると夏休みの終わりである。
境内には藤棚があるが訪れた日(2024年5月2日)には既に盛りを過ぎていた。
満開時にはおそらくとても見事な藤の花が見られるだろう。
国道9号線に面しています。
駐車場は、少し分かりにくいですが沢山あります。
日曜日と言うこともあり、多くの参拝客が居ました。
御朱印も、直接記帳していただけました。
厄落しの神様です。
数十年間 手を合わせに行っています。
厄年の際には、前、本、後と拝んで頂きました。
2023年初詣では、おみくじ「凶」でした。
前向きに過ごして行けそうです。
厄落としは、安来の清水寺が有名ですが、武内さんも力強い神様です。
大学生の息子の健康と学業成就を御願い致しました。
祖母が家族の健康と長寿の御願いに毎年来ていたことを思い出しました。
とても心穏やかになれる御宮様でした。
平濱八幡宮は創建は不明ですが、石清水八幡宮の別宮として出雲の国最古の八幡宮です。
道沿いに大きな看板があるので、迷わず辿り着きました。
下の駐車場もありますが、坂を登ると十台程停めれる駐車場もあります。
ここで車のお祓いをされていました。
ここから少し歩き境内にはいります。
まず、平濱八幡宮に参拝し、そのすぐ隣の竹内神社も参拝しました。
境内は綺麗に手入れされていますし、建物も趣があり、雰囲気がとても良いです。
その先に社務所があり、こちらでお守りや御朱印を頂けます。
額に飾られている御朱印を観ると出雲國神仏霊場を廻られて奉納されたものでした。
この霊場は出雲大社に始まり、日御碕神社までの20もの神社・仏閣を訪れる巡拝です。
こちらの巡礼も巡ってみたいですね。
平濱八幡宮・武内神社が同じ境内にあり、社殿も横に並んでいます武内神社は境内社とのことです境内の雰囲気は良く、武内神社以外にも境内社がいくつかありますが、他にも神秘の森、福を授かる社、幸の神、無事かえる像、やるき達磨など参拝者を飽きさせない見どころポイントが多いです八幡宮の本殿の裏にまわると巨大な扁額か看板のようなものが掛かっていて、特に案内もないので内容は不明ですが、気にはなります。
鎮座地:島根県松江市八幡町303平濱八幡宮/祭神:応神・仲哀天皇、神功皇后神紋:亀甲紋・橘武内神社/祭神:武内宿禰神紋:亀甲紋・笹の葉二つの神社が同所に祀られているのは、武内宿禰が今も「仲哀天皇、神功皇后、応神天皇」を御守りしている。
・・と云う意味だそうです。
この地は中海から「出雲の中心=意宇」への入口であり「意宇」を一望できる特別な場所でもある、太古には別な出雲系の重要な神社が存在していたのではないかと考えられる。
また近くに「出雲国分寺、出雲国分尼寺」がある。
出雲国に大和系の「軍事的な神社」が存在するのは、西(石見)には「物部神社」があり、出雲を封じ込める意味をもつのか?武内宿禰について生誕地武内神社(産湯の井戸):和歌山市松原91 800m離れて安原八幡神社(伝承が存在):和歌山市相坂671和歌山市の武内宿禰生誕地は彼等の一大根拠地であり、「その根拠地が一番安全な場所」であると考えた神功皇后が「子=応神天皇」を預けて内乱を鎮めに出征したと考えられる。
終焉地、墓:南北朝時代の帝王編年記によれば、大和国葛下部で薨じ「室破賀墓」とされている。
「室大墓古墳:奈良県御所市室」(一説には葛城襲津彦Or伝武内宿禰)埋葬地その他宇部神社:鳥取県鳥取市国府町宮下651武内神社:京都府相楽郡精華町北稲八間北垣外45 (きたいなやずま) 神紋:丸に橘綾戸古墳:岐阜県不破郡垂井町綾戸903-7
石清水八幡宮の別宮とされる出雲最古の八幡宮です。
8月31日に行われる武内神社の祭りは今も盛大に行われていますが、戦前の時代も十数万の参拝者が一晩で押し寄せる大規模イベントだったようです(大日本神祇会島根県支部『島根県神社概説』より)。
昭和10年の意宇郡の人口が8.7万人程度とされ、移動手段に乏しい時代であることを考えると、とても巨大な祭りだったことが分かります。
命の神さまとして有名です。
小さくはない病気をしましたが、お陰でこの2年源基に過ごしています。
感じた事ですから参考にはならないと思います。
武内神社・平濱八幡宮の駐車場に着いて鳥居前で一礼して境内に進み拝殿で参拝して神社の裏側の神秘の森に入るまえに一礼して森の中に‼️空気が違う龍が二頭口を開けた龍と口を閉めた龍阿吽なのでしょうか❓️神聖な場所と感じ龍と社を写真撮り社務所な朱印頂きに若い神主さんが丁寧に対応で朱印帳に書いてくれました。
朝早く祈祷する人が数人、多くの神社に参拝するとよく祈祷や舞に遭遇しますが神々か歓迎してくれてるのでしょうか。
神は人の敬意で神威を増す人は神威で幸を得る。
家内安全。
長寿の神様です。
落ち着いた雰囲気で癒されます。
社殿をぐるりと一周すると、色々な発見ありますね。
神秘の森もあります。
蚊が沢山いるので、虫除けしないと大変です。
原始的な雰囲気が良かったです。
松江駅からバスで15分ほど。
バスの本数も比較的多いので行きやすい神社です。
車も止めやすい感じです。
癒やされました。
平濱八幡宮は、應神天皇(おおじんてんのう)仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)神功皇后(じんぐうこうごう)の三柱をお祀りし、我国の文化や産業を非常に発展させられたので、文教、殖産興業の守護神として広く信仰されています。
創建年代は不詳ですが、京都の石清水八幡宮の別宮として天永二年(1111年)には、ご遷宮の日時を占った記述が石清水文章に見え、出雲国最古の八幡宮といわれています。
出雲国八所八幡宮の総社として著われ、社家は代々惣検校(そうけんぎょう)に任ぜられました。
境内社武内神社は武内宿禰命(たけうちのすくねのみこと)をお祀りし、長寿であられたことから、延命長寿、開運厄徐の御信仰があり、特に病気平癒、交通安全の霊験があらたかです。
8月31日の武内神社大祭は、山陰地方夏祭りの最後を飾り、松江市内から臨時バスが出るほどです。
300軒余りの露店の明かりは不夜城のごとく夜中まで賑わいます。
平浜八幡宮と武内神社が並列で鎮座していました。
境内はとても綺麗に整備清掃されており神域に相応しい神社でした。
本殿後ろの巨大な額が印象に残ります。
裏手の森に鎮座する二頭の龍頭が異様で強い霊気を発していますので、参拝するしないは自己責任でお願いします。
宮司さん、気さくな方。
ありがとうございましたー m(_ _)m
毎年初詣にお参りして交通安全の御守りを買います❗よくききますよ👍帰りに栗まんじゅう買って帰るけど 凄く美味しい❤️
2月3日におこなわれる節分祭には、節分祭でしか頂けない御札が有ります。
武内神社大祭で、午前4時から行われる大祭の神事を初めて観ました。
厳かに進められてとても神秘的でした。
その時写した写真に、オーブの様な丸いシャボン玉の様なものがいっぱい写りました。
何か気になって仕方ありません。
社務所に送ってますので、詳しい方は、感想を聞かせて下さい。
夜の神社は行く機会が無いので、提灯の灯りしかなく、幻想的でした。
出雲地方最古の八幡宮だと思います。
8月31日の〔武内神社例祭〕は一日中賑やかで、参拝も多く、日付が替わった朝4時からは、眠い目を擦りながら子供達も参加する御神幸が今でも続き、御神力に肖ろうと、暗い中多くの方の参拝、参列が在ります。
武内神社と平濱八幡宮は入り口が違うだけのようです。
数日前の台風で落ち葉が多かったようで、今日は焚火がされていました。
一般家庭では焚火は禁止ですが、神社では火を使わないと大抵の儀式ができませんので…焚火の煙にかすむ境内とぱらつく小雨で遠近感が増し、山奥にでも来たかのような感覚を覚えました。
駐車場とトイレがあり、訪れやすい場所です。
祖母の語るところを統合すると、ここにはどうも何かがあるらしい。
それが何かはいまひとつよくわからない。
・現代、それから人柱や霊力みたいなものが「合理」に含まれていたような時代。
その二つを大体二で割ってつぎはぎして足したような時代が祖母の若かりし日々と戦時中だったようである。
・小さいころ遠足でここに歩いて御参りしたということ、ここには今では想像もつかない規模で出店が出ていたこと。
そうした思い出とは別に何かもうひとつ、祖母の「信仰」らしきものがある。
それはわかる、それが具体的に何を指すかは分からない。
・近所の「滝明神様(たきみょうじんさん)」はなんでもここを系列とする神様だということだった。
とはいえそれはどうも祖母にとっては「オマケ」といったところだろうか。
信仰というやつはどうもよくわからない。
追記。
先日実際に行った。
神社については全く詳しくないので特筆すべきことはないのだが。
中にはやる気地蔵だったかがあり、これの存在はちょっと衝撃だった。
なるほど、これは何らかのヒントになると思った。
昔の人たちにとって、特にテレビとかない時代に、こうした地蔵がおいてあるってのはもしかしたら重要な意味を持ったのかも知れない。
よく訳の分からない神社によくわからぬままについて行き、「頭を冷やす」から勉強ができるようになるという説明つきのこの地蔵の頭に水をぶっかけるってのは、案外当時としてはゲラゲラ笑えるような非常におもしろい出来事だったのかも知れない。
なんかそんな楽しい出来事が祖母の過去にあり、その楽しい記憶が竹内神社を崇める心に、その分派である滝明神さんを崇拝する気持ちになっていたとしたら?かなり妄想である笑とりあえず今度祖母にこの地蔵について聞いてみるとしよう。
9月28日間追記。
動画を見せつつ、これが竹内神社でしょ?(ドヤア)と聞いたところが、おいやー知らんよー?とのこと。
やるき達磨も無事かえるも、いやーわからんわー。
知らんよー、と。
ズコー↪ふりだしに戻る笑やや意気消沈しながら話を聞いているといろいろまた話が膨らむ。
・一緒に参るために歩いていたおじさんがいたらしいんだが、ここはどこじゃ?と聞いて、誰かがここは揖屋じゃと答えたところ、おじさんがいやじゃいやじゃと言い出して皆が笑ったということがあったらしい。
・竹矢町から馬潟に抜けて、次の日に学校があったもんだから舟に乗って帰ったこともある。
・弟さんが疫痢(赤痢)にかかったときに、ここの神に祈念しに恐らく親がここへ参ったことがあったらしい。
80年前くらい前。
そのうーんうーんと唸る弟の声があまりに恐ろしくて台所で耳を塞いでたもんだったわと。
・松江の天神さんに行ったこともあった。
松本利一郎というおじさんが親類におり、幸町にいたんだが、そのおじさんが食べてた桃の皮を庭にまいたときろが桃の木になったとかいう話があるらしい。
緑色に生い茂った木々と階段に並ぶ紫色の旗々が境内まで続いていく光景が美しかったです。
参拝客も多く、出雲地方を代表する神社でした。
名前 |
平濱八幡宮・武内神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0852-37-0435 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.2 |
境内、平濱八幡宮と武内神社が仲良く鎮座しています。
参道を上がると正面に平濱八幡宮、その左隣奥に武内神社の拝殿が並立します。
平濱八幡宮は応神天皇・仲哀天皇・神功皇后、武内神社は武内宿禰命が主祭。
平濱八幡宮は創建年代不詳ですが往古、石清水八幡宮の出雲国八ヶ所の荘園のうちの一つとして造られたことに始まり、出雲国最古の八幡宮と言われています。
武内神社は平濱八幡宮の境内社ですが、地元民からは「武内さん」と親しまれており、どちらかといえば武内神社が主役な気が....。
中でも毎年8月31日の武内神社大祭、通称「たけおっつあんまつり」は超有名。
他県からの遠征を含め10万人近い参拝者と数百軒の露店が立ち並び、夜遅くまで大賑わいで同じ8月に行われる水郷祭と共に夏のビックイベントとなっています。