名前 |
和田屋茂兵衛の墓 |
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ジャンル |
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電話番号 |
080-5594-2955 |
住所 |
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評価 |
4.0 |
有珠山噴火の歴史の中で、文政5年(1822年)の噴火は、とてつもなかったとの記憶が残っております。
この年の、1月19日の爆発から活動が続いて、2月1日の朝6時過ぎに大きな地響きと共に大爆発を起こしたかと思う間もなく、猛烈な熱雲が山肌に溢れ出して、疾風のように野を走り、アブタコタンを焼き尽くして一面火の海となったとのことです。
甚大な被害があった中、当時場所請負人であった和田屋茂兵衛と、支配人をしていた妻の兄で善五郎、婿の松之助も被災し、その後間もなく息子の茂吉が建てたと思われる3名の墓石。
噴火湾を望むとても眺望のいい場所なので、夏場はハイキングを楽しむ方や、近くにパークゴルフ場もあるので、賑わいを見せる場所です。