年に一度、お世話になった先輩の命日にお邪魔しており...
昭和な商店街に包み込まれる様に存在してます。
近所の子供たちがWiiしながら群がって居る立派な山門を潜った先の境内は、趣ある境内で、更に児童公園でも有り不思議な空間なのでした。
不思議と言うか、子供たちが遊び回って居て何だか懐かしい感じ。
多分無意識に遊び回ってる彼らに、子供の頃の自分を重ね合わせてしまったのでしょう。
臨済宗南禅寺派の寺院、南禅寺搭頭金地院の末寺で山号は初日山、通称は八尾地蔵尊、御本尊は地蔵菩薩で弘仁年間(810~824年頃)山門脇に大阪城の残石と「河内最古の温度発祥地」の碑がある、境内に大阪の陣で戦死した藤堂家の戦死者の墓がある、創建年は奈良時代、開基は行基、別称八尾地蔵尊新堂寺。
歴史ある名刹。
商店街のなかから出入りできるが、立派な門前には地元の童たちが多く座り遊んでる。
別の出入口には、虫かごと捕虫網が置かれたままに。
地元の人びとに親しまれているのがよく分かる。
寺たるもの、かくありたい。
本来、寺とは(少なくとも近世以降は)、人びとの寄る辺であり、遊び場だ。
京都などの無意味に敷居高すぎる寺はこの姿勢を見習うべきだ。
河内音戸発祥の地。
とされているお寺です。
旧近鉄八尾駅の近くの商店街、ファミリーロードの入り口近くにあります。
地元の人々に愛されているお寺ですね。
おおさか十三仏霊場巡拝にて訪問しました。
藤堂の大坂の陣の戦没者を供養している寺❗安らかに❗
歴史を感じられる。
近隣の方から大事にされている良いお寺です。
大阪十三仏地蔵様のお寺で、八尾市街地にあります。
仁王様が迫力あります。
大阪十三仏 5番 地蔵菩薩。
臨済宗南禅寺派。
八尾のお地蔵さん。
寺敷地内に遊具があり、 くすのきが立派です。
年に一度、お世話になった先輩の命日にお邪魔しております。
静かで心落ち着く空間が広がり癒されます。
おおさか十三仏巡りにて、教興寺さんとセットでお参りして来ました。
御朱印な御朱印にも対応頂いたのですが、後からこの常光寺さんと河内音頭の関係を知った次第です。
御朱印をいただきました。
境内に遊具があるのが、お地蔵様っぽくて良かったです。
ただベンチなどは無いようでしたので公園のように長居はできなさそうですね。
河内音頭発祥のお寺だそうです。
とても広く静かで、落ち着いてお参りできます。
御朱印は、インターホンを押すと寺務所に案内してくださいます。
八尾市、近鉄八尾駅西口より3分程、アーケード街に入口が有ります。
臨済宗南禅寺派の地蔵尊で日本三大地蔵尊に数えられています。
此の地付近は大坂の陣で豊臣方と徳川方の激戦地の1つに数えられ徳川方の証の様に三葉葵の家紋も見られ、又血天井も有名です、入口の立派な仁王門をくぐれば本堂前に広場の様な境内が現れます、ここで、毎年8月23.24日の地蔵盆に河内音頭発祥地にふさわしく盛大に盆踊りが繰り広げられ、日本の音風景百選にも選ばれています。
又4月末には般若会が繰り広げられ、お稚児練供養が行われます。
河内音頭発祥の地です。
河内音頭発祥の地でも有名だと言うことで訪れましたが、本堂は閉めきられ誰1人居られずひっそりとしていました。
残念でした。
また日を改めて訪れたいと思います。
商店街の中にあるお寺です、いかにも下町のお寺って感じで子供達が境内で遊んでいました。
【常光寺】(じょうこうじ)八尾市本町河内西国三十三箇所3番。
おおさか十三仏霊場5番。
臨済宗南禅寺派の寺院。
南禅寺塔頭金地院の末寺で、山号は初日山。
通称は八尾地蔵尊。
本尊は地蔵菩薩で、弘仁年間(810年 - 824年ごろ)、小野篁の作と伝えられている。
山門脇に大坂城の残石と「河内最古之音頭発祥地」の碑がある。
また、境内に大坂の役で戦死した藤堂家の戦死者の墓がある。
奈良時代に僧行基が創建したと伝えられている。
当初は「新堂寺」と称していた。
南北朝期に戦乱で寺は焼かれ、一旦は荒廃した。
至徳2年(1385年)に土豪・藤原盛継により復興、翌年に地蔵尊・阿弥陀堂などを再建した。
室町時代に足利義満から、自筆の 「初日山」「常光寺」 の額が納められた。
(寺宝として現存。
)大坂の役において、付近は激戦地となったが、本寺は徳川方の保護を受けた。
徳川方の武将・藤堂高虎は本堂の北にある住職の居間(方丈)の縁側に敵方の首級を並べて「首実検」をしたという。
その縁板は後に方丈の西廊下の天井として貼り替えられた。
おびただしい血痕がついていたため、「血天井」と称された。
所在地:大阪府八尾市本町5-8-1アクセス:近鉄大阪線 八尾駅から徒歩約10分。
常光寺で思い出すのは、やはり大坂夏の陣、八尾の戦いだ。
藤堂高虎と長宗我部盛親の激闘は、この常光寺周辺で繰り広げられた。
どちらも豊臣の部下だったが、高虎は情勢を見るに敏、秀吉の死後、何の未練もなく家康方に組した。
この八尾の戦いも先鋒を願いでた。
まさに家康のご機嫌とり、家康の顔色を窺いながらの戦いだ。
盛親に痛打されはしたが(600名以上の死傷者)、盛親の撤退もあり、何とか戦線を維持した。
高虎が、長宗我部隊の武将達の首実験をした廊下が、血天井としてこの寺に残っている。
今も、この常光寺の広場に立ち、目を閉じ、耳を澄ませば、彼ら、藤堂隊や長宗我部隊が相討つ凄惨な現場や、怒涛の唸り声が聞こえてこないだろうか?またここは河内音頭の発祥地だが、激しい戦さの声も、今は河内音頭の賑やかな音や踊りにかき消されてしまった。
臨済宗南禅寺派の寺院で、山号は初日山おおさか十三佛霊場の第5番で本尊は地蔵菩薩河内音頭発祥の地とされている近鉄八尾駅から近い。
名前 |
常光寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
072-922-7749 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
八尾の戦いで陣没した藤堂藩士の墓などが所在。